- 時期
- 1915–1935年
- 地域
- ロシア、ソビエト連邦
- 時代
- 20世紀
シュプレマティスム
ロシアの画家カジミール・マレーヴィチが名づけた抽象絵画の動向。物の描写を捨て、正方形や円、長方形などの基本的な幾何学形を限られた色で白い地に浮かべる。1915年の「0,10」展で世に出た。
解説OVERVIEW
定義と時代背景
テート美術館によれば、シュプレマティスムは、カジミール・マレーヴィチが自ら展開した抽象芸術に付けた名で、円や正方形、線、長方形といった基本的な幾何学形を、限られた色で描くことを特徴とする。名はラテン語で「最上の」を意味する supremus に由来し、ニューヨーク近代美術館によれば、外の現実への参照を捨てた、絵画における「純粋な感覚あるいは知覚の優位」を意味する。画家は1927年の著書『無対象の世界』で、1913年に現実世界の重荷から芸術を解き放とうとして正方形の形に逃れたと書いた。最初の展示は1915年12月、ペトログラードの「0,10」展で、テートによればマレーヴィチは35点の抽象画を出品し、目録の先頭に白地に黒い正方形を描いた作品を置いた。ロシア革命をはさむ激動の中で、画家はこの解放を社会と政治の変革とも結びつけた。
造形上の特徴
テート美術館によれば、マレーヴィチは「シュプレマティスムの正方形」から長方形、三角形、円などの形を広げ、しばしば強く美しい色で描いた。形はふつう白い地に浮かび、空間の中に色が漂う感覚が要となる。マレーヴィチ協会は、色と線と面が平らな画面を組み立てる絵画そのものの言語を強調しつつ、空間と形而上的な連想を呼ぶ作風とする。1916年からはより複雑な構成と淡い色調に広がり、1918年には白の上に白い正方形を置く連作で、色そのものも消えていった。白い地、斜めに傾いて浮かぶ幾何学形、物の描写がまったくないことが見分ける手がかりになる。
代表画家と代表作
マレーヴィチの《黒の正方形》(1915年、トレチャコフ美術館)、《ダイナミック・シュプレマティスム》(1915〜1916年頃、テート)、《シュプレマティスト・コンポジション》(1916年、個人蔵)、《白の上の白》(1918年、ニューヨーク近代美術館)が代表作である。協会によれば、1920年にマレーヴィチはヴィテプスクの美術学校で学生や教師と集団「ウノヴィス」を結成し、ポスターや配給券、布地、建物の装飾にシュプレマティスムを応用した。弟子のスエチン、ヒデケル、チャシニクらは、のちに画家とともにペトログラードへ移った。
前後の流派との関係
協会によれば、シュプレマティスムは、立体主義に未来派の考えを結びつけたロシアの「立体未来派」と、ありえない物の組み合わせを描く「アロギズム」を経て生まれた。1913年の未来派オペラ《太陽の征服》のために描いた、対角線で黒と白に分けた正方形の幕が、《黒の正方形》のきっかけになった可能性もある。テートによれば、1924年からのスターリンの台頭と社会主義リアリズムの押しつけで画家の活動は衰え、晩年は具象に戻った。一方、エル・リシツキーやモホイ=ナジ・ラースローが強く影響を受け、ドイツのバウハウスでも理論が出版された。同じ時期のオランダでは、モンドリアンらの新造形主義が別の道で純粋な抽象に至っている。