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カジミール・マレーヴィチの肖像

1925年頃の写真

Wikimedia Commons / Public domain
生没年
1879–1935年
国籍
ロシア(キーウ生まれ)
本DB収録 4 点

カジミール・マレーヴィチ

Kazimir Malevich

1879年にキーウで生まれ、1935年にレニングラードで没した画家。ポーランド系の両親のもとウクライナで育ち、幾何学的な色面だけで描く無対象の絵画シュプレマティスムを始めて、抽象絵画を切り開いた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

マレーヴィチ協会によれば、1879年2月26日、ロシア帝国のキーウでポーランド系の両親のもとに生まれ、ウクライナで育った。1896年にクルスクへ移り、鉄道で働きながら絵を学ぶ。1904〜1905年ごろモスクワへ出て、イヴァン・レルベルクの画塾に学び、ナタリヤ・ゴンチャロワやミハイル・ラリオーノフと交わった。1913年には未来派のオペラ《太陽の征服》の舞台と衣装を手がけ、1915年12月、ペトログラードの「0,10」展でシュプレマティスムの絵を発表した。1919年からヴィテプスクの美術学校で教え、翌年、集団「ウノヴィス」を結成する。1922年にペトログラードへ移り、国立芸術文化研究所を率いた。1927年にワルシャワとベルリンで展示したのち呼び戻され、作品をドイツに残した。帰国後は形式主義と批判され、1930年には3か月投獄された。1935年5月15日、レニングラードで没した。

様式の変遷

協会によれば、初期には印象派、象徴主義、フォーヴィスムなど多くの様式を試み、ゴンチャロワとラリオーノフの影響で、民衆版画やイコンに学んだ素朴な作風に進んだ。1912年からは立体主義を取り入れ、未来派の考えと結びつけた「立体未来派」の作品を描く。1915年には、白い地に鮮やかな色の幾何学的な面を浮かべるシュプレマティスムに至り、1918年の白の連作でその極に達した。1920年代には建築の模型「アルヒテクトン」をつくり、晩年には、シュプレマティスムの色と形を残したまま、顔のない農民などの具象に戻った。1933年の最後の自画像には、署名の代わりに黒い正方形を描いた。

代表作

《黒の正方形》(1915年、トレチャコフ美術館)、《白の上の白》(1918年、ニューヨーク近代美術館)、《シュプレマティスト・コンポジション》(1916年)、《自画像》(1933年、ロシア美術館)などが知られる。

影響

テート美術館によれば、1919年に画家と出会ったエル・リシツキーやモホイ=ナジ・ラースローがシュプレマティスムに強く影響された。協会によれば、1927年にはバウハウスを訪ね、その理論はバウハウス叢書としてドイツ語で出版された。ソ連では長く展示も研究も妨げられたが、ベルリンに残された作品の多くは1950年代にアムステルダム市立美術館に入り、同館はロシアの外で最大の収集を持つ。

代表作MAJOR WORKS

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