- 時期
- 1917–1944年
- 地域
- オランダ、パリ、ニューヨーク
- 時代
- 20世紀
新造形主義
オランダの画家ピート・モンドリアンが唱えた抽象絵画の理論と様式。水平と垂直の直線、赤・黄・青の三原色と白・黒・灰色だけを用い、1917年創刊の雑誌『デ・ステイル』を通じて広まった。
解説OVERVIEW
定義と時代背景
テート美術館によれば、新造形主義は、ピート・モンドリアンが自らの抽象絵画に用いた呼び名で、オランダ語の「デ・ニューウェ・ベールディング(新しい造形)」に由来する。絵画と彫刻が「造形芸術」とされることからの命名である。第一次世界大戦中、パリからオランダに戻っていたモンドリアンは、1917年に画家テオ・ファン・ドゥースブルフらと雑誌『デ・ステイル』を創刊し、その初期の号に載せた論文「絵画における新造形」でこの語を広めた。
造形上の特徴
テート美術館によれば、新造形主義は美術の基本の要素を最も純粋なかたちで用いる。色は三原色と非色(白・黒・灰色)だけ、形は正方形と長方形だけ、線は水平か垂直の直線だけに限られる。モンドリアンは、芸術は美的に純化された、つまり抽象のかたちで自らを表すようになると書いた。ニューヨーク近代美術館も、最も基本的な線と限られた色の範囲にとどめることを新造形主義の決まりとして挙げる。白地を区切る黒い直線の格子と、赤・青・黄の四角い面の組み合わせが、見分ける手がかりになる。
代表画家と代表作
テート美術館によれば、この語は、モンドリアンが離れるまでの『デ・ステイル』の仲間の作品にも使われる。グループには画家のバルト・ファン・デル・レック、ジョルジュ・ヴァントンゲルロー、建築家のヘリット・リートフェルトやJ・J・P・アウトが加わり、リートフェルトの《赤と青の椅子》(1918〜1923年、ニューヨーク近代美術館)のように、その原理は家具や建築にも及んだ。モンドリアンが1930年に描いた《赤・青・黄のコンポジション》(チューリッヒ美術館)について、所蔵館は、垂直と水平の線と三原色だけに頼り、無彩色と原色、垂直と水平の釣り合った対比を目指した様式と説明する。晩年のニューヨークでは《ブロードウェイ・ブギウギ》(1942〜1943年、ニューヨーク近代美術館)を描き、黒い線をなくして自らの決まりを大きく組み替えた。
前後の流派との関係
ペギー・グッゲンハイム・コレクションによれば、モンドリアンは1911年にアムステルダムでキュビスムの作品を見てパリへ移り、そこから抽象へ進んだ。テート美術館によれば、ファン・ドゥースブルフが作品に斜めの線を取り入れたことが、モンドリアンがグループを離れるきっかけとなった。『デ・ステイル』はファン・ドゥースブルフのもとで1931年まで刊行が続いた。テート美術館は、デ・ステイルの動きが抽象美術と、近代の建築やデザインの発展に大きな影響を与えたとしている。