
グスタフ・ルンドベリ《フランソワ・ブーシェの肖像》(1741年、パステル、ルーヴル美術館)
Wikimedia Commons / ルーヴル美術館 / Public domain- 生没年
- 1703–1770年
- 国籍
- フランス
フランソワ・ブーシェ
1703年にパリで生まれ、1770年に同地で没したフランスの画家。恋の神話や田園の場面、王立製作所のタピスリーやオペラの舞台の下絵を手がけ、1765年に国王の首席画家となった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
『ラルース』の絵画事典によれば、1703年にパリで、無名の装飾家で版画商のニコラ・ブーシェの子に生まれた。1720年頃に画家フランソワ・ルモワーヌのアトリエに入ったが、最初の修業は挿絵画家としてのもので、収集家ジュリエンヌに選ばれてアントワーヌ・ヴァトーの素描を版画に写した。1723年にアカデミーの一等賞を得て、1728年から1731年頃にはイタリアに滞在する。1734年に《ルノーとアルミード》でアカデミーに入会し、教授、院長を経て、1765年に国王の首席画家となった。ルーヴル美術館の収蔵品データによれば、1770年にパリで没した。
様式の変遷
同事典によれば、若い頃の素描、模写、版画の仕事が並外れた手の速さを与えた。ボーヴェとゴブランの王立タピスリー製作所の下絵、オペラの舞台装飾、国王やポンパドゥール夫人の注文に追われ、18世紀で最も奇想に富む装飾家となる。1739年頃からは、恋の神話と寓意、親密な室内の場面を得意とした。一方、1752年にパリを訪れたレノルズは、画家が手慣れた型に頼って描いていると見て、ディドロもその安易さと色づかいを批判した。画家自身は、1万点を超える素描を描いたと語っている。
代表作
《水浴のディアナ》(1742年、ルーヴル美術館)、《ルノーとアルミード》(1734年、同)、《昼食》(1739年、同)、《ヴィーナスの勝利》(1740年、ストックホルム国立美術館)がある。
影響
同事典によれば、ポンパドゥール夫人をはじめ多くの愛好家に愛されたが、1760年頃にはサロンの観衆が離れ、以後1世紀にわたって批評から顧みられなくなった。第二帝政期にトレ=ビュルガーやゴンクール兄弟が18世紀を最もよく表す画家として再発見し、1986年から翌年にかけてニューヨーク、デトロイト、パリで開かれた展覧会で、その重要さが改めて示された。娘婿のボードゥアンやデエー、ジャン=オノレ・フラゴナールらを育てた。のちにルノワールは、《水浴のディアナ》を「最初に私の心をつかんだ絵」と呼んでいる。