
《毛皮のコートを着た自画像》1500年、アルテ・ピナコテーク
Wikimedia Commons / アルテ・ピナコテーク / Public domain- 生没年
- 1471–1528年
- 国籍
- 神聖ローマ帝国(ニュルンベルク)
- 様式
- 北方ルネサンス
アルブレヒト・デューラー
1471年にニュルンベルクで生まれ、1528年に同地で没した画家・版画家。北方の緻密な写実にイタリア・ルネサンスの人体表現と理論を結びつけ、木版画と銅版画を独立した芸術に高めた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1471年5月21日、ニュルンベルクの金工の子として生まれた。父のもとで金工を学んだのち、1486年から画家ミヒャエル・ヴォルゲムートに弟子入りし、木版画の工房仕事も身につける。1490年から4年間、バーゼルやストラスブールを巡る遍歴の旅に出た。1494年にアグネス・フライと結婚し、その直後に初めてヴェネツィアへ向かう。1505〜1507年に再びヴェネツィアに滞在し、《ばら冠の祝祭》を描いた。1512年からは皇帝マクシミリアン1世の版画事業を手がけ、1520〜1521年にはネーデルラントを旅した。1528年4月6日、ニュルンベルクで没した。
様式の変遷
木版連作《黙示録》(1498年)では、線だけで光と動きを表す力を示した。二度のイタリア滞在を経て人体の比率と遠近法への関心が深まり、《アダムとエヴァ》(1504年)のような均整のとれた裸体像に結実する。1513〜1514年の三点の銅版画《騎士と死と悪魔》《書斎の聖ヒエロニムス》《メランコリアI》では、細い線による質感表現と主題の深さがともに頂点に達した。晩年には色数を抑え、人物を大きく単純に構える《四人の使徒》(1526年)に至る。《アザミを持った自画像》(1493年)以来、自画像を描き続けたことも、画家としての自意識の高さを物語る。
代表作
《毛皮のコートを着た自画像》(1500年、アルテ・ピナコテーク)、《ばら冠の祝祭》(1506年、プラハ国立美術館)、《聖三位一体の礼拝》(1511年、ウィーン美術史美術館)、《四人の使徒》(1526年、アルテ・ピナコテーク)。版画では《黙示録》(1498年)と《メランコリアI》(1514年)が名高い。
影響
版画を工房の量産品から画家自身の表現へ変え、モノグラムを入れた作品をヨーロッパ中に流通させた。その図像は早くから模倣され、ヴェネツィアでは無断複製をめぐって訴えを起こしている。測定法と人体比例についての著作を残し、美術に理論を与えようとした点でも先駆的だった。北方ルネサンスを代表する画家として、クラナッハ(父)ら同時代の画家はもちろん、レンブラントら後世の版画家にも受け継がれている。