《浴女》
緑の幕と白い布に囲まれた部屋で、赤と白の布を頭に巻いた裸の女が、寝台の端に背を向けて腰かけている。顔は見えず、なめらかな背中と、腕に掛けた白い布が静かな光を受けている。
概要
《浴女》(仏: La Baigneuse, dite Baigneuse de Valpinçon)は、フランスの画家ドミニク・アングルが1808年に描いた油彩画である。縦146センチ、横97.5センチのキャンバスで、パリのルーヴル美術館が所蔵する。19世紀の持ち主の名から「ヴァルパンソンの浴女」とも呼ばれる。ナポレオン財団の解説(カリーヌ・ユグノー、2008年)によれば、1801年にローマ賞を得たアングルは、1806年にようやくイタリアへ渡った。1808年、ローマのフランス・アカデミーの給費生として、上達ぶりを見てもらうためにパリへ送る義務のある作品の一つに本作を選んだ。当初の題は《座る女》だった。
画面の読み解き
所蔵館の目録によれば、白い布を掛けた寝台の端に、裸の女が背を向けて腰かけている。敷布の縁には透かし模様の刺繡がほどこされ、頭は赤と白のターバンで覆われる。左には緑の幕が下がり、奥の壁には緑と白の布が張られている。ナポレオン財団の解説によれば、女はおそらく身づくろいをしようとしており、幕のあいだからは、獅子の頭から水が噴き出す浴槽がのぞく。物語を思わせるものは何もなく、じっと動かない、夢見るようなけだるい姿を乱さない。女の身元や身の上、考えを明かす細部もない。左腕には白い布が掛かり、足もとには赤い室内履きが置かれている。左下に「Ingres. Rome. 1808.」の署名と年記がある。
技法・様式
所蔵館が2006年のアングル展で公開した解説によれば、ローマのヴィラ・メディチに滞在したアングルは、女性の体を描く三つの型を考え出した。背を向けた裸婦、横たわる裸婦、そして苦しみにあう無力な女性である。1808年にアカデミーがパリへ送った本作で、画家は古代の理想と決別し、新しい形を試みた。モデルの顔を描かず、人となりを示す手がかりも残さずに、頭の布とわずかな布のほかは何もまとわない女を背中から描いたのである。同館は、アングルがこの絵で図像と視点、官能的な雰囲気を定め、のちの作品でそれを繰り返したとする。ナポレオン財団の解説は、1807年の《半身の浴女》(バイヨンヌ、ボナ美術館)に想を得た本作の調和のとれた線と、透けるような肌の色合いが、トスカーナのマニエリスムと、画家のラファエロへの傾倒に多くを負うとみる。
来歴
ナポレオン財団の解説によれば、本作は1808年にパリで披露されたときにラップ将軍が買い、のちにヴァルパンソンの手に渡って、その名で呼ばれるようになった。フランス文化省の文化財データベースは、1822年3月のラップ将軍の売り立てに出たことを記す。ヴァルパンソンは、1855年のパリ万国博覧会で開かれたアングルの大回顧展に貸すことを拒んだが、巨匠を心から崇拝していた若いエドガー・ドガの働きかけで考えを改めたという。次の持ち主イザーク・ペレールが、1879年にルーヴル美術館へ売った。所蔵館の目録によれば、絵は新しい画布に移し替えられており、シュリー翼の第940室に展示されている。
意義
ナポレオン財団の解説によれば、この裸の背中の姿は生涯アングルを魅了し、何度も描き直されて、《トルコ風呂》の要の人物となった。ナポレオン公が1848年頃に注文した《トルコ風呂》は、1859年に納められたが、その妃クロチルドが衝撃を受けたためにすぐ画家へ戻され、1863年まで手が加えられた。そこでは浴女は時を超えた性格を失い、ハーレムの場面の中央で、裸の女たちを前に楽器を奏でる女となっている。所蔵館は2006年の展覧会で、晩年のアングルが《トルコ風呂》のために、女性の体のさまざまな姿勢の習作を数多く描いたことも紹介している。