《盗まれた接吻》
- 作者
- ジャン=オノレ・フラゴナール 、 マルグリット・ジェラール (伝)
- 制作年
- 1785–1788年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 45 × 55 cm
- 所蔵
- エルミタージュ美術館
- 時代
- バロック・ロココ
- 流派
- ロココ
扉の陰から身を乗り出した若い男が、肩掛けを取りに来た娘の頬に口づけする。白い繻子のドレスの娘は、身を傾けながら、隣の部屋でカード遊びをする人々に気づかれないかと、不安げな目を向けている。
概要
《盗まれた接吻》(仏: Le Baiser à la dérobée)は、1780年代後半に描かれた油彩画で、伝統的にジャン=オノレ・フラゴナールの作とされる。縦45センチ、横55センチのキャンバスで、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館が所蔵する。隣の部屋の人々の目を盗んで交わされる、若い男女の口づけを描いた風俗画である。一方で、繻子の衣装の細密な描き方などから、フラゴナールの義妹で弟子のマルグリット・ジェラールが描いた、あるいは二人の共作とみる研究者も多い。フラゴナールの名で1788年に版画となり、その年までに描かれたことがわかっている。
画面の読み解き
メトロポリタン美術館が1988年に開いたフラゴナール展の図録によれば、肩掛けを取りに来た若い女性に、若い男が控えめに口づけし、その手をそっと握っている。女性は拒んではいないが、不意をつかれていささか不安げである。男は左の扉の陰から身を乗り出し、女性は白い繻子のドレスの体を斜めに傾けて、右手で縞の薄い肩掛けをつかむ。肩掛けの端は、小さな丸い台の上に掛かっている。右奥の開いた扉の向こうの部屋では、二人の女性と一人の男がテーブルを囲み、カード遊びをしている。床には花模様の絨毯が敷かれ、左端には赤い垂れ幕が下がる。
技法・様式
同じ図録によれば、本作と、せいぜい10年ほど前に描かれたフラゴナールの《かんぬき》(ルーヴル美術館)とのあいだには、様式にも技法にも気分にも大きな違いがある。《かんぬき》が情熱的で抒情的なのに対し、本作は、美術史家シャルル・ステルランの言う「ボワイーのよう、ただし天才のボワイー」で、手堅く市民的な作品だという。絹のドレスの細かく入念な描写と、劇的な動きを抑えた構成は、18世紀末に好まれた17世紀オランダのメツーやテル・ボルフの作風を思わせる。
来歴
図録によれば、1788年、版画家ニコラ=フランソワ・ルニョーが、先に成功を収めた《かんぬき》の版画と対になる作品として本作を版画にし、同年6月14日の雑誌『メルキュール・ド・フランス』などで告知された。ワルシャワのワジェンキ王宮博物館の解説によれば、入手の経緯はわからないが、1795年の最後のポーランド王スタニスワフ2世アウグストの絵画目録に載る。図録によれば、王の手書きの目録では200ドゥカートと評価された。王は1797年と1798年にサンクトペテルブルクへ送らせようとしたが、絵はワジェンキ宮殿に残り、1895年にエルミタージュ美術館に移された。1921年のリガ条約でポーランドに返すべき作品とされたが、エルミタージュにとどまり、代わりにワトーの作品の模写とされる《ポーランドの女》がポーランドに渡った。所蔵番号ГЭ-1300。
意義
図録でピエール・ローザンベールは、1974年から、構想をフラゴナールが与え、ジェラールが描いたのではないかと問うてきたと述べる。美術史家サリー・ウェルズ=ロバートソンは「ジェラールの様式でフラゴナールが描いた」とし、アレクサンドル・アナノフは「疑いなく」ジェラールの手を見る。ローザンベール自身は、画風を変えたフラゴナールの新しい試みとする見方と、構想を示しただけの絵の版画に名を載せた、老いた画家の姿とみる見方を挙げ、控えめに後者に傾いた。ワジェンキ王宮博物館の解説は、構想と構図はフラゴナールのもので、少なくとも顔は彼が描き、残りをジェラールが描いた可能性があるとしている。