《農民の踊り》
- 作者
- ピーテル・ブリューゲル(父)
- 制作年
- 1568年
- 素材
- オーク板 / 油絵具
- 寸法
- 114 × 164 cm
- 所蔵
- ウィーン美術史美術館
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- 北方ルネサンス
ピーテル・ブリューゲル(父)が1568年頃に描いた板絵。村の守護聖人の祭りで、踊りの輪へ駆けつける男女やバグパイプ吹き、酒場の人々を、画面いっぱいの大きな人物で生き生きと描いた、晩年の農民画を代表する作品である。
概要
《農民の踊り》(蘭: De boerendans、独: Bauerntanz)は、ピーテル・ブリューゲル(父)が1568年頃に描いたオーク材の板絵である。村の守護聖人を祝う縁日(ケルメス)の日、広場の踊りに加わろうと駆けつける男女を中心に、楽師や酒場の人々を描く。同じ大きさの《農民の婚宴》とともに画家の最晩年の作風を示す北方ルネサンスの風俗画で、ウィーン美術史美術館が所蔵する。
来歴
右下に「BRVEGEL」の署名があるが、年記はない。大きな人物と奥行きのある構図から、晩年の1568年頃の作とされる。制作の事情は伝わっていないが、同じ寸法の《農民の婚宴》(1567年頃、同館)と対、あるいは農民の暮らしを描く連作の一部として構想された可能性がある。ブリューゲルの作品はハプスブルク家の収集家に好まれ、美術館によれば、本作も1610年代にはウィーンの宮廷にあった。1748年に宮廷の宝物庫から絵画ギャラリーへ移され、ブリューゲルの油彩を12点前後所蔵する現在の美術館に伝わる。画家は1559年頃にも、村の縁日を描いた素描《ホボケンの縁日》を残している。
画面の読み解き
画面右手前では、黒い上着の男が黄色い前掛けの女の手を引き、踊りの輪へ向かって大股に駆けていく。男の腰には短剣が下がり、帽子には匙が差してある。左では、頬をふくらませたバグパイプ吹きに、隣の男が水差しを手に顔を寄せる。その奥の居酒屋の卓では、口づけを交わす男女や言い争う人々がひしめき、手前では小さな子が手を取られて踊りを教わっている。奥の広場では村人たちが踊り、その向こうに教会が建つ。家の窓からは縁日の赤い旗が垂れ、右端の木には聖母子の絵が掛けられている。
美術館は、描かれているのは縁日の最初を飾る伝統的な跳ね踊りで、全員の踊りに先立って二組だけで踊られたと説明する。手前の二人は、左端で卓に近づく物乞い(あるいは巡礼)に気を取られているという。一方で、この画面には教訓も読み取られてきた。人々は奥の教会や木に掛けられた聖母子の絵に背を向け、居酒屋の前で飲み、争い、口づけを交わす。祭りの浮かれ騒ぎの中に、大食や色欲、怒りといった罪を見る解釈である。
技法・様式
オーク材の板に油彩で描かれている。初期の《ネーデルラントの諺》のように高い視点から無数の小さな人物を見下ろす構図に代わり、目の高さに近い視点で、画面の手前に大きな人物を置く。晩年のブリューゲルが、イタリア絵画に学んだ量感のある人物像を農民の姿に用いた例とされる。赤、白、黒、黄の明快な色面が画面にリズムを与え、手前の二人から奥の踊りの輪、教会へと視線を導く。ウィーン美術史美術館は、農民を見下すのでも笑いものにするのでもない、理想にまで高められた写実だとしている。
意義
1604年に画家列伝を著したカレル・ファン・マンデルは、ブリューゲルが友人と農民の身なりで祭りや婚礼に紛れ込み、人々の姿を観察したと伝えている。本作は《農民の婚宴》とともに、「農民のブリューゲル」と呼ばれる画家の像を決定づけた作品である。農民の祭りを大きな画面の主題にした本作の試みは、17世紀のフランドルとオランダで、アドリアーン・ブラウエルやダーフィト・テニールス(子)、ヤン・ステーンらの農民風俗画へと受け継がれた。