
スポレート大聖堂の壁画《聖母の死》の部分(1467〜1469年)。白い修道服の人物は画家の自画像とされる
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1406–1469年
- 国籍
- フィレンツェ共和国
- 様式
- 初期ルネサンス
フィリッポ・リッピ
1406年頃にフィレンツェで生まれ、1469年にスポレートで没した画家。カルメル会の修道士で、メディチ家に重んじられた。人間味あふれる聖母子の絵と、プラートとスポレートの大聖堂の壁画で知られる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ワシントン・ナショナル・ギャラリーの作品目録によれば、おそらくフィレンツェの生まれで、1421年、15歳ほどでフィレンツェのカルミネ修道院のカルメル会に入った。1428年にはシエナのカルメル会修道院の副院長に任じられ、1434年頃にはパドヴァで、いまは失われた作品を描いた。1440年代にはフィレンツェを代表する画家となり、メディチ家がサンタ・クローチェ聖堂の礼拝堂やメディチ宮のために作品を注文した。1452年から1466年までプラート大聖堂で聖ステファノと聖ラウレンティウスの壁画に取り組み、1467年からはスポレート大聖堂で聖母の生涯の壁画を描いたが、1469年にスポレートで没し、同じ大聖堂に葬られた。壁画はフラ・ディアマンテが仕上げた。
様式
同目録によれば、ブランカッチ礼拝堂のマザッチョとマゾリーノの壁画(1424〜1425年)から多くを学んだとみられ、初期の作品には、マザッチョのどっしりした人体、遠近法、浮き彫りのような量感が見える。のちにはドナテッロの彫刻と、光と細部の描写に向けたフランドル絵画の関心をあわせ持った。ウフィツィ美術館は、《聖母子と二天使》(1460〜1465年頃)の聖母の表情や当世風の衣装に、深い人間味を見ている。
代表作
ウフィツィ美術館の《聖母子と二天使》と《聖母戴冠》(1439〜1447年頃)、プラート大聖堂とスポレート大聖堂の壁画、フラ・アンジェリコが始めた円形画を完成させたとみられる《東方三博士の礼拝》(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)が知られる。
影響
ウフィツィ美術館によれば、《聖母子と二天使》の構図ははじめから評判となり、弟子だった若いサンドロ・ボッティチェッリをはじめ、多くの画家が手本とした。プラートの修道女ルクレツィア・ブーティはのちにリッピの妻となり、息子フィリッピーノはスポレートの壁画で父を助けた。