《マンチェスターの聖母》
岩に腰かけた聖母が書物を手にし、幼子キリストがそれに手を伸ばす。毛皮をまとった幼い洗礼者ヨハネが幼子を支え、右には巻物を読む二人の天使が立つ。左の二人の天使は輪郭と緑の下塗りだけで残されている。
概要
《マンチェスターの聖母》は、ミケランジェロが1494年頃に描いたテンペラの板絵で、ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する。館の記録では縦104.5センチ、横77センチで、所蔵番号はNG809。16世紀のイタリアの額に収められ、館の第51室に展示されている。館の正式な題は「聖ヨハネと天使たちのいる聖母子」で、1857年にマンチェスターの大美術展に出品されて以来「マンチェスターの聖母」と呼ばれている。館は、現存するミケランジェロの絵画のうち、おそらく最も早い作品としている。
画面の読み解き
館の解説によれば、本作は未完成である。聖母の外套は黒の下描きの陰影のままでウルトラマリンの青が塗られておらず、左の天使たちはほとんど手がつけられていない。なぜ完成しなかったのかは分かっていない。聖母は岩に腰かけ、そばに幼子キリストと幼い洗礼者ヨハネがいる。右の胸があらわなのは、幼子に乳を与えたばかりであることを示す。幼子は聖母の持つ書物に手を伸ばす。書物は、キリストの磔刑を予言するイザヤ書第53章を開いた旧約聖書かもしれず、聖母はそれを子から遠ざけようとしているようにも見える。らくだの毛皮を着たヨハネは、母の外套のひだに片足をかけて危うく立つ幼子を支え、画面の外に目を向ける。それはキリストの教えへの道を備える役目を示すのかもしれない。ヨハネはふつう「見よ、神の小羊」と記した巻物とともに描かれ、天使たちが持つ巻物がそれにあたる可能性がある。
技法・様式
館によれば、ミケランジェロはフィレンツェで画家ドメニコ・ギルランダイオの工房に学び、構図をまず紙に描いてから板に写すことを身につけた。左の天使の衣のひだには、写した下絵の線が今も見える。緑がかった下塗りは、その上に塗る淡紅色の肌の色調を整えるための、中部イタリアの伝統的な卵テンペラの技法である。未完成のため、テンペラの描き方がそのまま見える。卵の絵具は画面の上で混ぜられず、すぐに乾くので、細い平行線や交差する線、点を重ねて塗り、暗い色から明るい色へと何度も繰り返す。一方で描き方には彫刻家としての修業が表れている。強い輪郭で聖母の形を際立たせ、周りの絵具を削り取って立体感を強めた。人物が画面をほぼ埋め、風景の入る余地がないのも浮彫に似ている。天使は、ルカ・デッラ・ロッビアが1430年代に制作したフィレンツェ大聖堂のオルガン席の浮彫に基づいている。
来歴
館によれば、本作は1497年にミケランジェロがローマで手に入れた板と結びつけられてきたが、人物は同じ時期の彫刻ほど流麗ではない。ドメニコ・ギルランダイオとその工房の作品との技法上の近さから、館は、ミケランジェロが独立した画家となった最初の数年、1490年代初めにフィレンツェで描いたと考えている。17世紀末にはローマのボルゲーゼ家の別荘にあったことがほぼ確実で、1725年と1765年の目録に「二人は描かれ、二人は素描のままの四人の人物」とともに記録される。1790年までに別荘を離れ、ローマのアレクサンダー・デイの手を経てイギリスに渡った。一時はギルランダイオの作として扱われたが、のちのトーントン卿が入手し、1857年にミケランジェロの作としてマンチェスターで展示した。1870年に館がその遺言執行者から購入した。
意義
館によれば、本作はミケランジェロのテンペラの技法の熟練を示し、天使の背の柔らかな羽毛や幼子の上着のひらめく縁のように、卵テンペラでは難しい繊細な効果も実現している。同じ館には、同じく未完の《キリストの埋葬》(1500〜1501年頃)もある。同じ画家の板絵には、ウフィツィ美術館の《聖家族(ドーニ家の円形画)》がある。