クレジット方針 収録範囲について お問い合わせ
作品COLLECTION 画家ARTISTS 流派MOVEMENTS 時代PERIODS 所蔵MUSEUMS 様式史HISTORY 用語集GLOSSARY 検索SEARCH

《ダルムシュタットの聖母》

Darmstädter Madonna
《ダルムシュタットの聖母》ハンス・ホルバイン
Wikimedia Commons / ヴュルト・コレクション / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
ハンス・ホルバイン(子)
制作年
1526–1528年
素材
油絵具 / 針葉樹材
寸法
146.5 × 102 cm
広告

貝殻形の壁龕を背に、冠をいただく聖母が幼子イエスを抱いて立つ。左には市長ヤコプ・マイヤーと二人の男の子、右には二人の妻と娘がひざまずき、聖母の広げたマントに包まれる。足もとには、折り目のついた東方の絨毯が敷かれている。

概要

《ダルムシュタットの聖母》(独: Darmstädter Madonna)は、ドイツ出身の画家ハンス・ホルバイン(子)が1526年にバーゼルで描き、1528年に手を加えた油彩の板絵である。縦146.5センチ、横102センチ。注文主のバーゼル市長ヤコプ・マイヤー・ツム・ハーゼンとその家族が、聖母子のもとにひざまずく姿を描く。ヴュルト・コレクションが所蔵する。

画面の読み解き

上を半円に閉じた画面の中央で、貝殻形の壁龕を背に、冠をいただいた聖母が幼子イエスを抱いて立つ。所有者のヴュルトによれば、大きく広げたマントが、足もとにひざまずく人々を守っており、聖母がいわゆる「慈悲の聖母」であることを示す。ja.wp によれば、左には市長と二人の男の子、右には横顔を見せる先妻マクダレーナ・ベーア、後妻ドロテア、手前に娘アンナがひざまずく。モイルは、男の子たちを市長の亡くなった二人の息子とする。冠は聖母を「天の女王」と示し、寄進者の市長は例外的に聖母と同じ大きさで描かれている。絵は、宗教改革に強く反対した市長のカトリックの信仰を伝える。足もとの絨毯には、たたみじわまで写されている。

技法・様式

museum-digital の所蔵者データによれば、針葉樹の板に油彩で描かれる。ja.wp によれば、冷たいほどの写実と線の精密さはドイツ絵画の伝統に属し、左右対称の構図、古典的な装飾、聖母の柔和な顔立ちはイタリア・ルネサンスに由来する。モイルは、マンテーニャの《勝利の聖母》の影響を指摘する。de.wp によれば、1528年にイングランドから戻ったホルバインは、娘アンナの下ろした髪を結婚前の娘の髪飾りに、ドロテアの顔を覆う頭巾を新しい装いに描き改めた。寄進者像を、家族の今の姿に合わせて更新したのである。

来歴

de.wp によれば、本作は娘アンナが受け継ぎ、1606年まで一族のもとにあった。のちアムステルダムの画商が写しを作らせ、その写しは1743年にザクセン選帝侯の手でドレスデンの絵画館に入った。本物は転々としたのち、1822年にプロイセンの王子が買い、1852年にダルムシュタットのヘッセン大公家の所有となった。題名はこの地にちなむ。19世紀にはドレスデンの写しとどちらが本物かが争われ、1871年の展覧会を経て、美術史家たちがダルムシュタットの絵を本物と認めた。2011年、ヘッセン家の財団から実業家ラインホルト・ヴュルトが買い取った。所蔵番号は14910。2012年からシュヴェービッシュ・ハルのヨハニター教会で常設展示されている。

意義

ヴュルトは本作を、ラファエロの《システィーナの聖母》とも比べられ、16世紀で最も有名で美しい絵画の一つとする。de.wp によれば、19世紀にはドレスデンの写しが同じ絵画館の《システィーナの聖母》と並べて論じられ、ホルバインは「北方のラファエロ」として、デューラーに代わる最も名高いドイツの画家とみなされた。ja.wp によれば、ホルバインの大きな宗教画の最後にして最も名高い作品である。