《システィーナの聖母》
- 作者
- ラファエロ・サンティ
- 制作年
- 1512–1513年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 269.5 × 201 cm
- 所蔵
- アルテ・マイスター絵画館
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- 盛期ルネサンス
左右に開かれた緑のカーテンのあいだを、幼子イエスを抱いた聖母が雲を踏んで歩み出る。左には教皇シクストゥス2世、右には聖女バルバラがひざまずき、下の縁では二人の小さな天使が頬杖をついて見上げている。
概要
《システィーナの聖母》(独: Die Sixtinische Madonna)は、ラファエロ・サンティが1512年から1513年にかけて描いた油彩画である。縦269.5センチ、横201センチのキャンバスで、ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館が所蔵する。所蔵館によれば、教皇ユリウス2世の注文で、北イタリアのピアチェンツァにあるサン・シスト修道院聖堂のために描かれた祭壇画である。所蔵館は本作を、レオナルドの《モナ・リザ》やボッティチェッリの《ヴィーナスの誕生》と並んで、世界で最もよく知られた絵の一つとする。盛期ルネサンスのローマで活躍したラファエロの代表作である。
画面の読み解き
左右に開かれた緑のカーテンのあいだで、聖母マリアが幼子イエスを抱き、雲の上を歩み出る。所蔵館によれば、聖母は無数の天使の顔がかすかに浮かぶ天の広がりから、幼子を地上の世界へ運んでくる。左にひざまずくのは3世紀の殉教者、教皇シクストゥス2世で、聖母に道を示している。右では、やはり3世紀に殉教した聖女バルバラが、へりくだってひざまずく。二人はともにサン・シスト聖堂の主祭壇で崇敬されていた聖人で、そのために画面に加えられた。下の縁では、二人の小さな天使が手すりに肘をついて上を見上げる。所蔵館によれば、ラファエロはこの天使たちを、主に構図上の理由から最後に描き加えた。
技法・様式
所蔵館によれば、同じラファエロの《フォリーニョの聖母》(ヴァチカン絵画館)では、寄進者の見る幻視が画面の中の出来事として描かれる。これに対して本作では画面全体が幻視となり、雲の上の聖人たちが、見る者一人ひとりの目の前に現れる。所蔵館は2020〜2021年の特別展「ラファエロと聖母」で、絵の向かいに十字架を載せた内陣障壁を仮に設けた。かつてピアチェンツァの聖堂でそうだったように、幼子と聖母のおびえたような視線が、十字架の裏側に向けられるという。
来歴
所蔵館によれば、1512年7月、ピアチェンツァが教皇領に加わったという知らせがヴァチカンに届き、これが注文のきっかけになったと考えられている。サン・シスト聖堂は、教皇が家族を通じて深く結びついていた修道院だった。絵はおそらく1513年2月の教皇の死までに完成し、遅くとも1514年の聖堂の献堂のときには主祭壇に置かれていた。250年近くピアチェンツァでほとんど知られずにいたが、ザクセン選帝侯でポーランド王のアウグスト3世が、確かな真筆のラファエロを求めて本作を選ぶ。2年近くに及ぶ難しい交渉の末、1754年3月1日に絵はドレスデンに着いた。第二次世界大戦後の1945年にソ連へ運ばれ、1955年にドレスデンに戻っている。所蔵番号Gal.-Nr. 93。
意義
所蔵館によれば、本作が広く知られるようになったのはドレスデンで公開されてからで、とりわけ1800年頃の古典主義とロマン主義の人々がこの絵を見いだした。そのころ初めて、下の縁の二人の天使だけが写し取られ、以後、磁器や装身具、刺繍、スクラップブック、コーヒーやチョコレートの広告、切手にまで使われる独自の道を歩んだ。所蔵館は本作の500年を、秘密の交渉と華やかな展示、忘却と国際的な称賛、芸術的な創意と底知れないキッチュの物語だったとしている。