
ピーテル・デ・ヨーデ(2世)による版画の肖像(画家の自画像にもとづく。コルネリス・デ・ビー『黄金の陳列室』1662年)
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1592–1656年
- 国籍
- ネーデルラント連邦共和国
- 様式
- ユトレヒトのカラヴァッジョ派
ヘラルト・ファン・ホントホルスト
1592年にユトレヒトで生まれ、1656年に同地で没したオランダの画家。ローマでカラヴァッジョの明暗法を学び、蝋燭の光に照らされた夜の場面で「夜のゲラルド」と呼ばれた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートによれば、1592年、ユトレヒトのカトリックの大家族に生まれた。父ヘルマンはタペストリーの図案家で、1611年のユトレヒトの聖ルカ組合の創設者の一人だった。ユトレヒトの画家アブラハム・ブルーマールトに学び、ローマでは1616年に記録が初めて現れる。ジュスティニアーニ宮殿に住み、枢機卿シピオーネ・ボルゲーゼ、トスカーナ大公コジモ2世らを顧客とした。1620年に帰郷して大きな工房を営み、1622年にユトレヒトの聖ルカ組合に入って、のちに組合長を4度務めた。1628年には数か月ロンドンに滞在して英国王チャールズ1世のために描き、1630年までにハーグへ拠点を移して、亡命中のボヘミア王家や総督フレデリック・ヘンドリック夫妻に仕えた。1652年にユトレヒトへ戻り、1656年4月27日に没した。
様式
同館によれば、ローマでカラヴァッジョの写実、劇的な明暗法、大胆な色、人物を大きく切り取る構図を取り入れた。ジュスティニアーニ宮殿ではアンニーバレ・カラッチやドメニキーノの古典的な作品にも学び、ほかのユトレヒトのカラヴァッジョ派の画家たちより滑らかで明快な作風を示す。蝋燭の光の夜景を得意とし、イタリアでは「夜のゲラルド」(ゲラルド・デッラ・ノッテ)と呼ばれた。
代表作
ローマ時代の《大祭司の前のキリスト》(1617年頃、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)が知られる。日本語版ウィキペディアによれば、英国ではチャールズ1世夫妻をアポロンとディアナに見立てた大作(ハンプトン・コート宮殿)を描いた。ナショナル・ギャラリー・オブ・アートによれば、晩年にはハーグのハウス・テン・ボスのオラニエの間(1649年)の装飾にも加わった。
影響
ナショナル・ギャラリー・オブ・アートによれば、1621年に英国の外交官ダドリー・カールトンが作品をアランデル伯に送り、伯はカラヴァッジョの色の扱いを称えた。1627年にはルーベンスがユトレヒトの工房を訪れたと伝えられる。弟子には、のちに画家と美術史家として知られるヨアヒム・フォン・ザンドラルトがいる。