《バッカスとアリアドネ》
青い空の下、チーターに引かれた車から、酒の神バッカスが宙へ跳ぶ。視線の先には、海辺に置き去りにされた王女アリアドネ。神の後ろからは、蛇を巻きつけた男やシンバルを打つ女たちの騒がしい行列が森を出てくる。
概要
《バッカスとアリアドネ》(英: Bacchus and Ariadne)は、ヴェネツィアの画家ティツィアーノが1520年から1523年に描いた油彩画である。縦176.5センチ、横191センチのほぼ正方形のキャンバスで、ロンドン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する。所蔵館によれば、館で最も名高い絵の一つで、フェッラーラ公アルフォンソ1世・デステが宮殿の一室のために注文した神話画の連作に属する。
画面の読み解き
所蔵館によれば、主題は古代ローマの詩人オウィディウスとカトゥルスが語る物語である。クレタの王女アリアドネはナクソス島でテセウスに置き去りにされ、左の遠い海にはその船が去っていく。そこへ、インドへの凱旋から戻った酒の神バッカスが、騒がしい従者たちを連れて現れる。ニンフたちはシンバルやタンバリンを打ち鳴らし、ぶどうの葉の冠をつけたサテュロスは子牛の脚を振りかざし、子どものサテュロスは子牛の頭を地面に引きずる。奥では酔ったシレノスがロバの背にぐったりと乗る。画家がとらえたのは、バッカスがアリアドネにひと目で恋に落ち、2頭のチーターが引く車から彼女へ跳ぶ瞬間で、宙に浮かぶ神の姿は、それまでの画家がめったに試みなかったものだという。おびえるアリアドネに、神は星を約束する。物語の一つの形では、神はのちに彼女の冠を空へ投げて北の冠座に変える。左上の星の輪がそれを表している。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれる。所蔵館によれば、画家は当時ヴェネツィアで手に入る最も鮮やかな顔料を一枚の画面にそろえ、白で明るくする以外は混ぜずに、離して配した大きな色面にそのまま使った。最も強い色は空のウルトラマリンで、頭上ほど深く、地平線に近いほど明るい。遠景のやや緑がかった青には、別の顔料のアズライトが使われている。右上の木の赤茶色は秋を示すものではなく、画面に描かれたアヤメやオダマキ、ぶどうの若芽は晩春から初夏のものである。館は、隅に暖かな色を置き、人物の土色の肌からチーターへ続く対角線で、視線をアリアドネへ導くためと考える。
来歴
所蔵館によれば、フェッラーラ公は宮殿の「アラバスターの間」のために、ジョヴァンニ・ベッリーニ、ティツィアーノ、フェッラーラの画家ドッソ・ドッシに酒宴の絵を注文し、ちょうどの大きさの画布をヴェネツィアの画家に送った。本作は、1520年に没したラファエロに頼んだ似た主題の絵の代わりで、画家は1520年か1522年にヴェネツィアで描き始め、1523年の初めにフェッラーラで仕上げた。左下の黄色い布の上の金の壺に署名がある。1598年、フェッラーラが教皇領になると、教皇特使のピエトロ・アルドブランディーニ枢機卿がローマへ運んだ。同家の別荘などを経て1806年にイギリスへ渡り、1826年に宝石商トマス・ハムレットから館が購入した。所蔵番号はNG35。
意義
所蔵館によれば、画家は古代彫刻に学び、古代の衣装を正確に描くことで、ラファエロに並び、あるいは上回ろうとした。蛇にからまれた男は、1506年にローマで掘り出された古代彫刻《ラオコーン》にもとづく。本作はヨーロッパの美術に大きな影響を与え、神々の恋は、家具の装飾や別荘の壁画の主題から、画廊に飾る絵の最も好まれる主題になった。その代表が、画家自身が20年以上のちにスペイン王フェリペ2世のために描き始めたポエジアで、館のコレクションには《ディアナとアクタイオン》などその3点が入っている。