- 生没年
- 1430–1516年
- 国籍
- ヴェネツィア共和国
- 様式
- ヴェネツィア派・初期〜盛期ルネサンス
ジョヴァンニ・ベッリーニ
1430年ごろに生まれ、1516年にヴェネツィアで没したイタリアの画家。光にあふれた柔らかな色彩でヴェネツィアの絵画をルネサンスへ導き、ジョルジョーネやティツィアーノを育てた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ウィーン美術史美術館の解説によれば、画家一族に生まれ、ヤコポ・ベッリーニの子、ジェンティーレ・ベッリーニの弟で、アンドレア・マンテーニャの義兄弟にあたる。J・ポール・ゲティ財団の略伝によれば、父ヤコポが率いる繁盛した工房で、兄とともに1470年ごろまで制作した。同館によれば、1483年にヴェネツィア共和国の公式画家となった。ゲティ財団の略伝によれば、1506年にイタリアから手紙を書いたデューラーは、ベッリーニを「とても年老いているが、今も絵では最も優れている」と記している。1516年にヴェネツィアで没した。
様式
ゲティ財団の略伝によれば、初期には、正確に組み立てられたマンテーニャの線的な様式に影響を受けた。1475年ごろにシチリア出身のアントネロ・ダ・メッシーナがヴェネツィアに油彩をもたらすと、まもなくその技法に移り、瞑想的で詩的な見方はそのままに、画風はより温かく光にあふれたものになった。風景を単なる背景ではなく気分をつくるものとして示し、人物を風景に調和させて溶け込ませた。ウィーン美術史美術館によれば、自らをほとんど宗教画だけの画家とみなし、神話の主題を扱った作品はわずかで、マントヴァのイザベッラ・デステのためにそうした作品を描くのを断った話は名高い。
代表作
晩年の《鏡の前の裸の若い女性》(1515年、ウィーン美術史美術館)は、その数少ない例外の一つである。ワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートの《神々の饗宴》は1514年の銘を持ち、フェッラーラ公アルフォンソ・デステが「アラバスターの間」を飾るために注文したバッカス祭の連作の最初の一点で、ティツィアーノとの共作である。
影響
ゲティ財団の略伝によれば、大きな工房で祭壇画や礼拝用の絵、肖像画、広く影響を与えた半身の聖母子像を生み出し、ロレンツォ・ロットやヴィットーレ・カルパッチョ、セバスティアーノ・デル・ピオンボら同時代と次の世代のヴェネツィアの画家に影響を及ぼした。ウィーン美術史美術館によれば、弟子のジョルジョーネとティツィアーノとともに、ヴェネツィアの盛期ルネサンスを築いた一人である。