
ヤン・マテイコ《自画像》1892年、ワルシャワ国立美術館
Wikimedia Commons / ワルシャワ国立美術館 / Public domain- 生没年
- 1838–1893年
- 国籍
- ポーランド
ヤン・マテイコ
ポーランド史の決定的な場面を大画面に描き続けた画家。国家が地図から消えていた時代に、絵によって国民の歴史像をほぼ一人で形づくった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1838年6月24日、当時オーストリアの影響下にあったクラクフ自由市に生まれた。父はチェコ出身の家庭教師で、音楽を教えて生計を立てていた。1852年にクラクフ美術学校へ入り、1858年にミュンヘン美術アカデミー、1859年から翌年にかけてウィーン美術アカデミーで学んでいる。1873年、母校がヤギェウォ大学から独立した際の初代校長に就き、没するまでその職にあった。1893年11月1日、クラクフで没した。
様式
主題はほぼ一貫してポーランドの歴史である。武具・衣装・紋章を古い記録から起こす細かな考証と、多くの人物を一つの画面に詰め込む群像の構成を特徴とする。史実の時間を厳密になぞるより、出来事の意味を語るために主要な人物を同じ場面へ集める作りを取った。色は濃く、金属と布の質感が丁寧に描き分けられる。
代表作
《グルンヴァルトの戦い》(1875〜1878年、ワルシャワ国立美術館)のほか、《スタンチク》(1862年)、《スカルガの説教》(1864年)、《レイタン—ポーランドの没落》(1866年)、《ルブリン合同》(1869年)、《ラツワヴィツェのコシチュシュコ》(1888年)、《1791年5月3日憲法》(1891年、ワルシャワ王宮)が知られる。
影響
クラクフ美術学校では、ヤツェク・マルチェフスキ、スタニスワフ・ヴィスピャンスキ、ユゼフ・メホッフェルらを育て、次の世代の出発点をつくった。分割の時代にあって、その歴史画はポーランド人が自国の過去を思い描くときの基準となり、教科書や記念日の図像として今日まで繰り返し用いられている。