《スタンチク》
- 作者
- ヤン・マテイコ
- 制作年
- 1862年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 88 × 120 cm
- 所蔵
- ワルシャワ国立美術館
- 時代
- 写実・印象派
赤い道化服の男が、重い肘掛け椅子に身を沈めてうつむいている。背後の扉の向こうでは舞踏会が続き、かたわらの卓には封を切った書状が広がる。24歳のマテイコが、道化に自分の顔を与えて描いた一点である。
概要
《スタンチク》(波: Stańczyk)は、ヤン・マテイコが1862年に描いた油彩画である。縦88センチ、横120センチ。ワルシャワのワルシャワ国立美術館が所蔵する。正式な題は「ボナ王妃の宮廷の舞踏会に際し、スモレンスクの喪失を前にしたスタンチク」。24歳だった画家の名を世に知らせた作で、ポーランドの歴史画の出発点に置かれる。
画面の読み解き
中央に、赤い道化服と鈴つきの頭巾の男が、重い肘掛け椅子に身を沈めて前かがみになっている。両手は膝の上で固く組まれ、眉は寄せられ、視線は床へ落ちている。左の卓には封を切った書状が広げられ、赤い封蝋と「Smoleńsk」の文字が見える。その先の窓の外は夜で、尖塔の影の上に尾を引く彗星が白く走る。右の扉の奥では赤く照らされた広間に舞踏会が続き、着飾った人々とシャンデリアが小さく見える。椅子の後ろの床には、投げ出された道化の杖(マロット)が転がっている。
技法・様式
色は道化服の赤と、闇に沈む褐色と黒に絞られる。光は右の広間と左の窓から来て、人物はその中間の暗がりに置かれるため、赤い衣と白い顔だけが浮かび上がる。舞踏会は扉の枠に切り取られ、画面の中の別の場面として収まっている。事件の中身は卓上の書状、時代の不吉は窓の彗星というように、読み解くための手がかりを画面の各所に配る語り方は、以後のマテイコの歴史画に一貫している。
来歴
スタンチクは16世紀前半のポーランド王ジグムント1世らに仕えた宮廷道化で、機知によって王や廷臣を諌めた人物として知られる。描かれているのは1514年、スモレンスクがモスクワ大公国の手に落ちた報せが届いた場面である。ただし題が言うボナ・スフォルツァがジグムント1世に嫁いだのは1518年で、舞踏会と事件は史実の上では重ならない。道化の顔は画家自身のものである。作品は1862年にクラクフ美術協会が買い上げたのち個人の所有となり、1924年にワルシャワ国立美術館が購入した。第二次世界大戦中にドイツ軍に持ち去られ、戦後ソ連の手を経てポーランドへ返還されている。所蔵番号MP 433。
意義
国の衰えを憂える者を、宴のかたわらにただ一人置いたこの図像は、ポーランドにおいて「スタンチク」という言葉そのものの意味を変えた。19世紀末から20世紀初めのクラクフでは、現実を直視する知識人の姿としてこの道化が引かれ、スタニスワフ・ヴィスピャンスキの戯曲『婚礼』(1901年)にも現れる。2024年10月から2025年2月にかけてはルーヴル美術館の「道化の姿」展に貸し出され、ポーランドを代表する絵画として紹介された。