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《ジグムントの鐘の吊り上げ》

Zawieszenie dzwonu Zygmunta na wieży katedry w Krakowie w 1521 roku
《ジグムントの鐘の吊り上げ》ヤン・マテイコ
Wikimedia Commons / ワルシャワ国立美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
ヤン・マテイコ
制作年
1874年
素材
板 / 油絵具
寸法
94 × 189 cm
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天蓋の下に立つ国王と、そばに座る王妃や幼い王子たちの前で、職人たちが太い綱を引き、金色に輝く大鐘を鋳型から引き出す。中央では司教が鐘を祝福し、壇の段には道化が腰かけている。

概要

《ジグムントの鐘の吊り上げ》(原題: Zawieszenie dzwonu Zygmunta na wieży katedry w Krakowie w 1521 roku、「1521年、クラクフ大聖堂の塔へのジグムントの鐘の吊り上げ」)は、ポーランドの画家ヤン・マテイコが1874年にクラクフで描いた油彩の歴史画である。縦94センチ、横189センチの板絵で、国王ジグムント1世が寄進したヴァヴェル大聖堂の大鐘「ジグムント」の誕生を描く。ワルシャワ国立美術館が所蔵する。

画面の読み解き

館の解説によれば、昔から付けられてきた題は絵の内容と合っていない。描かれているのは塔に吊るす場面ではなく、鐘を鋳型から取り出して祝福する儀式である。場所は今はないクラクフのヴィスワ門の下で、背景にヴァヴェルの城と大聖堂の輪郭が見える。左では天蓋の下の壇に国王が聖職者や廷臣と立ち、隣に王妃ボナ・スフォルツァが王子ジグムント・アウグストと王女イザベラを連れて座る。緑の衣のクラクフ県知事ピョトル・クミタの姿もあり、壇の段には宮廷道化師スタンチクが腰かける。中央では、のちのクラクフ司教ヤン・ホイェンスキが鐘を祝福し、そばにポズナン司教ヤン・ルブランスキが立つ。右では鐘をつくったニュルンベルクの鋳造師ハンス・ベハムが作業を指揮し、王のリュート奏者バクファルクと、巻物を手にした建築家・彫刻家ベレッチが見守る。伝説では、バクファルクは鐘の音を美しくするため、リュートの弦を溶けた金属に投げ入れたという。綱を引く職人たちの激しい動きは、見守る高官たちの厳かな静けさと対照をなす。

技法・様式

ヴァヴェル城の2021年の展示解説によれば、マテイコは1861年にこの鐘の絵を構想し、翌年に最初の下絵を描いて、1874年に主題に戻った。culture.pl の解説では、本作は1874年の冬にマホガニーの板に描かれた。署名と年記は鐘の舌にある。ヴァヴェル城によれば、画家は登場人物に家族やクラクフの知人の顔を与えた。王妃ボナは妻テオドラ、王女イザベラは娘ヘレナ、王子は息子イェジ、犬と遊ぶ小姓は息子タデウシュの顔で、鋳造師ベハムのモデルはロシアに対する一月蜂起に加わった人物だった。館は、きらめく豊かな色彩が宮廷の衣装の豪奢を伝え、鐘が日の目を見た晴れの瞬間を際立たせていると述べる。

来歴

館の記録によれば、本作は1897年にヴァレフスカ(旧姓レンキェヴィチ)が手に入れてモナコに置き、1901年にはマリア・ブラニツカ伯爵夫人、1938年にはルジャ・チェトヴェルティンスカ伯爵夫人が所有していた。第二次世界大戦中に持ち去られ、1945年8月にイェレニャ・グラで取り戻されて、翌年スタニスワフ・チェトヴェルティンスキに返された。館には1949年12月に入った。現在は19世紀美術ギャラリーの第105室に展示されている。2021年には鐘の設置500年を記念して、ヴァヴェル城で下絵とともに公開された。所蔵番号はMP 441 MNW。

意義

館の解説によれば、マテイコはルネサンス時代に特別な愛着を抱き、旧王都ヴァヴェルから響いて国民の喜びと悲しみに寄り添ってきた鐘を、その時代の象徴とみていた。画中には、1520年に没したルブランスキや、のちにジグムント・アウグストの宮廷に仕えたバクファルクのように、儀式に居合わせたはずのない人物も描かれる。画家は芸術家や人文学者、学芸の庇護者を一堂に集めて、ルネサンス期のポーランド文化の力と豊かさを示し、本作をヤギェウォ朝の「黄金時代」の国家と国民への賛歌とした。ヴァヴェル城によれば、この絵は劇作家スタニスワフ・ヴィスピャンスキに霊感を与え、戯曲『婚礼』でスタンチクが鐘の場面を語る台詞が生まれた。