
《灰色のアレンジメント:画家の肖像》1872年頃、デトロイト美術館
Wikimedia Commons / デトロイト美術館 / Public domain- 生没年
- 1834–1903年
- 国籍
- アメリカ合衆国
- 様式
- 唯美主義
ジェームズ・マクニール・ホイッスラー
1834年にアメリカのローウェルで生まれ、1903年にロンドンで没した画家。パリとロンドンで活動し、色と形の調和そのものを目的とする作品で、唯美主義の中心となった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1834年、マサチューセッツ州ローウェルに生まれた。鉄道技師の父の仕事で少年時代の数年をロシアのサンクトペテルブルクで過ごし、帝室美術アカデミーで素描を学ぶ。帰国後はウェストポイントの陸軍士官学校に入るが放校となり、1855年にパリでシャルル・グレールの画塾に学んだ。1859年にロンドンへ移り、以後は二都を行き来しながら制作する。1877年、《ノクターン:黒と金色》を「絵具壺を公衆の顔に投げつけた」と評した批評家ジョン・ラスキンを名誉毀損で訴え、翌年の裁判に勝つが賠償は1ファージングで、訴訟費用により破産した。1903年にロンドンで没した。
様式の変遷
初期にはギュスターヴ・クールベに近い写実と、パリで学んだスペイン絵画の影響が濃い。1860年代半ばから浮世絵や中国の陶磁に熱中し、平面的な構図、高い視点、余白を生かした画面へ向かった。1870年代には、夜のテムズ川を数色の薄い絵具で描く「ノクターン」の連作に至り、形は霧の中に溶ける。肖像画では背景も衣服も近い調子でまとめ、人物を一つの形として扱った。題名に「アレンジメント」「ハーモニー」「シンフォニー」と音楽の語を用いたのは、主題ではなく調和を見てほしいという主張である。
代表作
《灰色と黒のアレンジメント No.1》(1871年、オルセー美術館)、《白のシンフォニー No.1:白衣の少女》(1862年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)、《ノクターン:黒と金色—落下する花火》(1875年、デトロイト美術館)。
影響
「芸術のための芸術」を掲げ、主題から絵画を切り離そうとした姿勢は、唯美主義の中心となった。額の意匠や展示室の壁の色、書物の装丁までを一続きの仕事とみなす考えは、アーツ・アンド・クラフツ運動やアール・ヌーヴォーにつながる。アメリカでは、トーナリズムの画家たちが抑えた色調を彼に学んだ。浮世絵の平面性を早くから取り込んだ点でも、19世紀末のジャポニスムを代表する画家である。