
《自画像》1799年頃、テート・ブリテン
Wikimedia Commons / テート・ブリテン / Public domain- 生没年
- 1775–1851年
- 国籍
- イギリス
- 様式
- ロマン主義
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
1775年にロンドンに生まれ、1851年に没したイギリスの画家。水彩と油彩で風景を描き、あざやかな色彩への関心を深めたことから「光の画家」と呼ばれる。作品の大半を国に遺贈した。
略歴BIOGRAPHY
生涯
1775年4月23日、ロンドンのコヴェント・ガーデン近くで理髪師の子として生まれた。1789年にロイヤル・アカデミーの美術学校に入り、翌1790年から同アカデミーの展覧会に水彩画を、1796年からは油彩画を出品した。1799年に準会員、1802年には26歳という異例の若さで正会員となり、のちに遠近法の教授として講義も行った。イギリス国内を広く旅し、戦争の止んだ時期には大陸にも渡っている。1840年に批評家ジョン・ラスキンと出会い、ラスキンはターナーの作品の最大の擁護者となった。1851年12月19日、76歳で没した。
様式
初期の作品は18世紀の地誌的な風景画の伝統に属し、まもなくウィレム・ファン・デ・フェルデら17世紀オランダの画家に刺激を受けた。プッサンやクロードの風景画も研究している。ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、ターナーを最も愛されるイギリスのロマン主義の画家とし、あざやかな色彩への関心を深めたことから「光の画家」と呼ばれるようになったとする。自由で表現力に富む描き方は当時は批判されたが、いまでは広く評価されている。
代表作
《雨、蒸気、速度――グレート・ウェスタン鉄道》(1844年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)と《戦艦テメレール号》(同)は、同時代の技術への関心を示す作品である。同館はまた、クロードの風景画2点と並べて展示することを条件に遺贈された《カルタゴを建設するディド》などを所蔵する。《トラファルガーの海戦》(1822〜1824年、クイーンズ・ハウス)は、国王の命で描いた唯一の作品である。
影響
ターナーは1829年に最初の遺言書を作り、1848年には完成作のすべてを国に遺すよう書き改めた。没後、いとこたちが遺言に異議を唱えたが、1856年の裁判所の決定により、完成作だけでなくすべての作品が国のものとなった。ターナー遺贈は、油彩画300点近くと、スケッチブック300冊を含む約3万点の素描・水彩からなる。1910年にその大部分が新しく開いたテート・ギャラリーに移され、多くは現在、テート・ブリテンのクロア・ギャラリーにある。