
ルカ・シニョレッリが没後に描いた肖像(オルヴィエート大聖堂の壁画《反キリストの所業》の部分、1501年頃)
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1395–1455年
- 国籍
- フィレンツェ共和国
- 様式
- 初期ルネサンス
フラ・アンジェリコ
1395年頃にフィレンツェ北方のムジェッロ地方で生まれ、1455年にローマで没した画家。本名はグイド・ディ・ピエトロ。ドミニコ会の修道士として、サン・マルコ修道院の壁画や祭壇画を描いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
メトロポリタン美術館によれば、1395年頃、フィレンツェ北方のムジェッロ地方に生まれ、グイド・ディ・ピエトロと名づけられた。画家で写本装飾家でもあったカマルドリ会の修道士ロレンツォ・モナコの工房で、修業の一部を積んだとみられる。1418年には作品の支払いの記録が残る。1418年から1422年のあいだに、フィエーゾレのサン・ドメニコ修道院のドミニコ会厳修派に入り、フラ・ジョヴァンニとなった。1435年に修道会がフィレンツェのサン・マルコ修道院を引き継ぐと、1438年にコジモ・デ・メディチの依頼で、回廊や参事会室、食堂、僧房の壁画に取りかかり、1443年頃まで携わった。1445年にローマへ移り、教皇エウゲニウス4世とニコラウス5世のためにヴァティカンの礼拝堂を描いた。現存するのはニコラウス5世の礼拝堂の聖ステファノと聖ラウレンティウスの場面(1447〜1448年)だけである。フィエーゾレで2年間修道院長を務めたのち、1453年にローマへ戻り、1455年に没して、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ聖堂に葬られた。
様式
メトロポリタン美術館によれば、合理的に組み立てた絵の空間や、光と影による立体的な肉づけなど、初期ルネサンスの絵画の特徴をいち早く取り入れた。マザッチョの遠近法と彫刻のような人物を自らの画面に生かし、1428年頃にマザッチョが没したあとは、フィレンツェで最も新しく、最も求められる画家となった。サン・マルコ修道院の主祭壇画では、聖母子と天使、聖人たちを一つの四角い画面にまとめる形式を用いた。
代表作
サン・マルコ修道院の壁画と主祭壇画(1438〜1443年頃、フィレンツェ)、ヴァティカン宮殿のニコラウス5世の礼拝堂の壁画(1447〜1448年)、フィリッポ・リッピが完成させたとみられる円形画《東方三博士の礼拝》(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)が知られる。
影響
メトロポリタン美術館によれば、没後は、「天使博士」と呼ばれた神学者トマス・アクィナスになぞらえて「天使のような画家」とたたえられ、これが「アンジェリコ」の名のもとになった。一つにまとめた祭壇画の形式と、遠近法による建築の描写は、後の画家たちに受け継がれた。