
《20歳の自画像》(オーギュスタン美術館、トゥールーズ)
Wikimedia Commons / オーギュスタン美術館 / Public domain- 生没年
- 1771–1835年
- 国籍
- フランス
- 様式
- 新古典主義
アントワーヌ=ジャン・グロ
フランスの画家。ダヴィッドに学び、ナポレオンの遠征や戦いを描いた大作と肖像で帝政期に名声を得た。新古典主義に属しながら、劇的な画面でロマン主義の先駆けとなった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ヴェルサイユ宮殿の解説によれば、1771年3月16日にパリで生まれ、ジャック=ルイ・ダヴィッドに学んだ。1792年のローマ賞は逃したが、イタリアへ行くことを決め、翌年に師の助けで旅券を得てフィレンツェ、ジェノヴァへ移り、肖像の注文で暮らした。1796年11月、ミラノへ向かうナポレオンの妻ジョゼフィーヌに出会ったことが、ボナパルトとその周りの人々に仕える肖像画家、歴史画家としての道を開いた。帝政のもとで歴史画と肖像は大きな成功を収めたが、ナポレオンの体制が倒れたのちは新たな傑作を求め続け、長く鬱に苦しんだ。亡命した師に代わってフランス画壇の長となることもできず、1835年6月25日、パリ近郊のムードンで自ら命を絶った。
様式の変遷
同解説によれば、新古典主義の画家であると同時に、ロマン主義の先駆けでもあった。最初の傑作《アルコレ橋のボナパルト》(1796年)は1801年のサロンに出され、すぐに名声をもたらした。続く《ヤッファのペスト患者を見舞うボナパルト》は大成功を収めたが、皇帝の勝利を記念する競作のための《アイラウの戦場のナポレオン》(1808年)でも、その成功を繰り返すことはできなかった。晩年は、自らも道を開いたロマン主義が勢いを増すなかで、かえって極端な新古典主義へ退いた。
代表作
《ヤッファのペスト患者を見舞うボナパルト》(1804年、ルーヴル美術館)、《アルコレ橋のボナパルト》(1796年)、《アブキールの戦い》(1806年)、《アイラウの戦場のナポレオン》(1808年)が知られる。ヴェルサイユ宮殿には、ナポレオンの事績を描いた大作と、帝政期から王政復古期の肖像が多く残る。
影響
ナポレオン財団は《ヤッファのペスト患者を見舞うボナパルト》をロマン主義の到来を告げる傑作とし、ヴェルサイユ宮殿の解説も、画家がロマン主義の始まりに力を貸したとする。