《ヤッファのペスト患者を見舞うボナパルト》
アーチの並ぶ病院の中庭で、軍服のボナパルトが、胸をはだけた病人のはれものに素手で触れる。そばの医師は止めようとし、士官は鼻を押さえる。手前の床には、死に瀕した病人たちが横たわる。
概要
《ヤッファのペスト患者を見舞うボナパルト》(仏: Bonaparte visitant les pestiférés de Jaffa)は、フランスの画家アントワーヌ=ジャン・グロが1804年に描いた油彩の歴史画である。縦5.23メートル、横7.15メートルの大作で、ルーヴル美術館が所蔵する。シリア遠征中の1799年3月11日、ナポレオン・ボナパルトがヤッファでペストに倒れた兵士たちを見舞った場面を描く。
画面の読み解き
所蔵館の目録によれば、舞台はヤッファで軍の病院に使われたモスクの中庭である。ボナパルトは裸の胸をさらした病人のはれものに手を触れ、医師がそれを止めようとし、士官は鼻を押さえる。左では東方の装いの二人が病人にパンを配り、右では目の見えない兵士がボナパルトに近づこうとする。手前では病人たちが死に瀕している。歴史家ギー・ルドゥー=ルバールのナポレオン財団の論考によれば、ボナパルトは手袋を外した左手の指で、腕を上げて脇の下の腫れを見せる男の胸に触れ、そのすぐ後ろで軍医長デジュネットが引き留めようとしている。右の隅では、死にゆく病人を膝に抱いたまま医師が気を失い、奥のアーチの向こうにはヤッファの町と、三色旗をかかげた塔がのぞく。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれる。所蔵館によれば、画家はヴェルサイユのジュ・ド・ポームの館にあったアトリエで描き、左の階段に「Gros.1804 à Versailles」と署名と年記を入れた。ルドゥー=ルバールによれば、画家はデジュネットら現場にいた人々の話を聞いて素描と下絵をつくったが、病人を抱き起こすボナパルトや暗い病室といった事実に近い構想は、のちの大きな変更で退けられた。シャンティイの美術館に残る下絵は、完成作にきわめて近い。
来歴
所蔵館によれば、第一統領ボナパルトの発意により内務省が注文し、1804年のサロンに出品され、1805年に1万6000フランが支払われた。1821年にはルーヴルの収蔵庫で傷んでいると報告され、1830年10月にリュクサンブール美術館へ送られて1835年まで展示された。1870年にはプロイセン軍の砲撃に備えて巻かれ、1939年からはシャンボール城、モントーバン、モンタルと避難し、1946年2月にルーヴルへ戻った。所蔵番号は INV 5064。現在はドノン翼のモリアンの間に掛かる。
意義
ナポレオン財団の解説によれば、本作はシリア遠征でペストにかかった兵士を毒殺させたという噂に応えるため、ナポレオンが注文した宣伝の絵である。帝政が始まった1804年に描かれ、公開されたことで、さらに別の意味を帯びた。感染を恐れず病人の傷に触れるボナパルトは、瘰癧(るいれき)を癒すとされた王たちの系譜に連なり、聖地を舞台にした場面が神の力を思わせる。サロンでは画家の絵が棕櫚と月桂樹で飾られ、祝宴が開かれた。同財団は、本作をロマン主義の到来を告げる傑作とする。