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《星月夜》

De sterrennacht
《星月夜》フィンセント・ファン・ゴッホ
Wikimedia Commons / ニューヨーク近代美術館 / Public domain 拡大して見る ⌕
PLATE
作者
フィンセント・ファン・ゴッホ
制作年
1889年
素材
キャンバス / 油絵具
寸法
73.7 × 92.1 cm
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フィンセント・ファン・ゴッホが1889年6月、南仏サン=レミの療養院で描いた夜景。窓から見た夜明け前の空に想像の村を組み合わせ、渦を巻く夜空と炎のような糸杉を厚い筆触で描き出した、ゴッホの代表作である。

概要

《星月夜》(蘭: De sterrennacht、英: The Starry Night)は、フィンセント・ファン・ゴッホが1889年6月、南フランスのサン=レミ=ド=プロヴァンスで描いた油彩画である。三日月と星が渦を巻く夜空の下に小さな村と教会の尖塔を置き、手前に黒々とした糸杉を立てる。ポスト印象派を代表する作品で、ニューヨーク近代美術館が所蔵する。

来歴

1888年12月にアルルで自らの耳を傷つける事件を起こしたゴッホは、翌1889年5月8日、サン=レミ郊外のサン=ポール=ド=モーゾール療養院に自ら入院した。本作は、東向きの寝室の窓から見た夜明け前の眺めをもとに、日中、アトリエとして使うことを許された部屋で描かれている。6月初めには弟テオに宛てて、日の出よりずっと前に窓から田園を眺めると、明けの明星だけがとても大きく見えたと書き送った。

作品はパリのテオのもとへ送られ、1891年にテオが没したあとはその妻ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが管理した。1900年に売却されてからはパリとロッテルダムの収集家・画商の手を渡り、1941年、リリー・P・ブリスの遺贈作品との交換によってニューヨーク近代美術館の所蔵となった。

画面の読み解き

画面の大半を占めるのは夜空である。白や黄の光の輪をまとった星々と、右上の三日月の周りで、空気そのものが波のようにうねり、中央では二つの渦が絡み合う。糸杉のすぐ右でひときわ大きく輝く星は、ゴッホが手紙に書いた明けの明星(金星)とみられ、1889年の春にプロヴァンスの明け方の空に金星が見えていたことも確かめられている。

左手前の糸杉は、画面の下端から上端近くまで炎のように伸び上がり、地上と夜空をつなぐ。南欧では墓地に植えられる木であることから、死や永遠と結びつけて読まれてきた。これに対して右下の村は、灯りのともる家々が低く身を寄せる静かな場所として描かれ、うねる空との対比が画面に緊張を生んでいる。

ただし、この眺めは窓から見えたままではない。村は実際の眺めにはなく、素描をもとに付け加えられた想像の部分とされる。教会の尖塔もプロヴァンスの教会より鋭く、故郷オランダの教会の記憶が重なっているとする見方がある。遠景の山並みはアルピーユ山脈の稜線で、空の渦と響き合う波形の線で描かれる。観察した風景に想像を重ね、見たものと感じたものを一つの画面にまとめた点に、本作の性格がよくあらわれている。

技法・様式

キャンバスに油彩で描かれている。絵具を厚く盛るインパストで、空は曲線の、糸杉は縦に伸びる短い筆触を重ね、筆の動きそのものが形と運動をあらわす。科学分析では、空にウルトラマリンとコバルトブルー、星と月にインディアンイエローとジンクイエローが使われたことが確認されており、青と黄の対比が光の強さをつくっている。

夜空の星は、アルル時代の《ローヌ川の星月夜》(1888年)以来ゴッホが追い続けた主題で、翌年の《糸杉と星の見える道》(1890年)にも受け継がれる。印象派が光の見え方を忠実に写そうとしたのに対し、色と筆触に感情や象徴を託す本作は、ポスト印象派が開いた方向をもっとも鮮やかに示す一点である。

意義

ゴッホ自身は、1889年11月末のエミール・ベルナール宛の手紙で、大きすぎる星に手を伸ばしてまた失敗したと振り返っており、本作を成功とは考えていなかったとされる。しかし没後に評価が高まると、うねる筆触と強い色彩で内面を画面に刻む方法は、フォーヴィスムやドイツ表現主義の先駆けとみなされるようになった。1941年にニューヨーク近代美術館に収まってからは同館の顔となり、ドン・マクリーンの楽曲「ヴィンセント」(1971年)をはじめ、数多くの作品に引用されている。