《接吻》
石段の陰で、中世の衣裳をまとった男女が口づけを交わす。男は階段に片足をかけ、いまにも去ろうとしている。イタリア統一運動のさなかに描かれ、旅立つ義勇兵と残る恋人として読まれてきた。
概要
《接吻》(伊: Il bacio)は、フランチェスコ・アイエツが1859年に描いた油彩画である。縦112センチ、横88センチ。ミラノのブレラ美術館が所蔵し、館が自館を象徴する一点と呼ぶ作品である。中世の衣裳をまとった男女の別れという風俗画の体裁をとりながら、同時代のイタリアの政治を読ませる点に特徴がある。ロマン主義期のイタリア絵画でもっとも複製された絵とされる。
来歴
注文したのは貴族アルフォンソ・マリア・ヴィスコンティである。1859年のブレラ展に出品されるとただちに評判となり、その後もヴィスコンティ家にとどまった。ブレラ美術館の所蔵となったのは、1886年の同人の遺贈による。所蔵番号6335。アイエツは同じ構図を何度も描いており、細部を変えた別の版がヨーロッパ各地のコレクションに伝わる。署名も年記も残さないのが常だったため、各版の前後関係は研究者のあいだでも議論が続いている。
画面の読み解き
舞台は石造りの階段の踊り場で、壁の陰から光がわずかに差す。男は帽子を目深にかぶって顔を隠し、左足を階段にかけて、口づけを交わしながらすでに身を離しかけている。左奥の壁には影が落ち、その先に人の気配があるとも読まれてきた。女の衣は青と白、男の脚衣は赤で、外套の裏には緑がのぞく。館はこの取り合わせを、イタリアの三色旗とフランスの三色旗を重ねたものと説明する。1859年は第二次イタリア独立戦争の年であり、フランスは統一運動を支えた同盟国だった。
技法・様式
人物を画面いっぱいに据え、背景をほとんど省いた構成は、この時代のイタリアで流行した中世趣味の歴史画の作法にのっとる。織り目の見える絹の光沢、石段のざらついた質感、外套の重みといった手ざわりの描き分けに、アイエツの新古典仕込みの描写力がよく表れている。顔を見せない構図は物語の特定を拒み、誰の別れとしても読めるようにしている。
意義
統一の前夜に「別れの口づけ」という私的な場面を掲げたことで、この絵は愛国の情をもっとも広く伝える図像となった。館は本作を、19世紀イタリア絵画でもっとも多く複製された絵だろうと記している。同じ題で知られるクリムトの《接吻》とは別の作品で、こちらは半世紀ほど早い。