
フランチェスコ・アイエツ《57歳の自画像》ブレラ美術館
Wikimedia Commons / ブレラ美術館 / Public domain- 生没年
- 1791–1882年
- 国籍
- イタリア
フランチェスコ・アイエツ
略歴BIOGRAPHY
生涯
1791年2月10日、当時まだヴェネツィア共和国だったヴェネツィアの貧しい家に生まれた。父はフランス系、母はムラーノの出である。五人兄弟の末子で、裕福な船主に嫁いだ母方の叔母の家に引き取られ、絵の才を見た叔父の手配で修復家に弟子入りした。のち画家フランチェスコ・マジョットに三年学び、1806年にヴェネツィア美術アカデミーの絵画科へ入る。1809年のコンクールに入賞してローマのアッカデミア・ディ・サン・ルーカへ送られ、1814年までローマに滞在した。ナポリ王ジョアシャン・ミュラの注文で《アルキノオスの法廷のユリシーズ》を手がけたのち、活動の場をミラノへ移す。1850年にはブレラの長に任じられた。1882年2月12日、ミラノで没している。
様式の変遷
初期にはアングルとナザレ派の影響のもと、輪郭の明快な新古典の画風を身につけた。1820年代からは中世やルネサンスの物語に取材した場面を、当時の衣裳考証を踏まえて描くようになり、19世紀ミラノのロマン主義を代表する存在となる。晩年には再び古典への回帰が見られる。署名も年記もほとんど残さず、同じ構図を幾度も描いたため、制作年の特定と真贋の判断は今も難しい。
代表作
《接吻》(1859年、ミラノのブレラ美術館)がもっとも知られる。ほかに《ロミオとジュリエット》(1823年、トレメッツォのカルロッタ邸)、《アレッサンドロ・マンゾーニの肖像》(1841年、ブレラ美術館)、《瞑想》(1851年、個人蔵)、《アルキノオスの法廷のユリシーズ》(1813〜1815年、カポディモンテ美術館)、《ジョアキーノ・ロッシーニの肖像》(1870年、ブレラ美術館)がある。
影響
文学と歴史に取材した場面を、同時代の政治の寓意として読ませる描き方は、イタリア統一運動期の絵画に広く受け継がれた。肖像画家としてもミラノの知識人や貴族に重んじられ、その顔ぶれはこの時代のミラノの文化圏をそのまま写している。