《カディスの防衛》
- 作者
- フランシスコ・デ・スルバラン
- 制作年
- 1634–1635年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 302 × 323 cm
- 所蔵
- プラド美術館 (P000656)
- 時代
- バロック・ロココ
- 流派
- スペイン・バロック絵画
左手前の塔のそばで、黒い帽子の老将が肘掛け椅子に座り、指揮杖を差し出して命令を下す。甲冑の士官や騎士たちが並び、背後には多くの船が浮かぶ入り江と、海辺に上陸した兵の群れが小さく描かれる。
概要
《カディスの防衛》(西: Defensa de Cádiz contra los ingleses)は、スペインの画家フランシスコ・デ・スルバランが1634年から1635年にかけて描いた油彩の歴史画である。縦302センチ、横323センチの大画面で、マドリードのプラド美術館が所蔵する。所蔵館によれば、ブエン・レティーロ宮の「諸王国の間」のために描かれた戦勝画の連作の一点で、1625年11月1日に始まったイギリス艦隊の攻撃からカディスを守った戦いを描く。この広間のほかの戦いと同じく、出来事はロドリゴ・デ・エレーラの戯曲にもなった。
画面の読み解き
所蔵館によれば、手前の、現在のプエルタ・デ・ティエラに近い城壁の上で、総督フェルナンド・ヒロンが松葉杖と指揮杖を手に座っている。フランドルの戦いを経験した老将で、王から総督に任じられたが、痛風でほとんど動けず、絵のとおり肘掛け椅子から防衛を指揮した。中央で命令を受ける士官は、画家伝の著者セアンによれば副官のディエゴ・ルイス、その隣の騎士はおそらくカディスの代官ロレンソ・カブレラである。ヒロンの背後の人物は、かつてメディナ・シドニア公とされたが、控えた立ち位置と手にした書類から、副官か秘書とみる説がある。背景には、カディスの郊外と、エル・プンタルやアルマドラバ周辺の海の戦いが描かれている。
技法・様式
キャンバスに油彩で描かれる。所蔵館によれば、美術史家カトゥルラが公にした支払いの記録では、スルバランは「ヘラクレスの力業」を描いた10点と、「カディスの救援」の大画面2点の代金として1100ドゥカードを受け取った。同じ広間を飾ったヘラクレスの連作の一点が、《ネメアのライオンと闘うヘラクレス》である。もう1点のカディスの大画面がどれにあたるかは、確かにはわからない。
来歴
所蔵館によれば、スペイン王室の収集に属し、1701年以降ブエン・レティーロ宮の目録に記録され、のちマドリードの王宮に移った。1824年にプラド美術館に入った。所蔵番号はP000656。現在は009A室に展示されている。
意義
所蔵館によれば、イギリス艦隊はヘンリー・セシル(ウィンブルドン子爵)が率いた。12隻のガレー船を率いたフェルナンディナ公、インディアスから着いたばかりの14隻の船、近隣の村から約6000人の民兵を集めたメディナ・シドニア公がヒロンを支えた。イギリス軍は砲撃のあとエル・プンタルの砦を奪い、約1万人を上陸させたが、スアソ橋で食い止められ、11月8日に約2000人の死者を残して退いた。同館の《ブレダの開城》の解説によれば、王家はこの広間をフェリペ4世の軍事的な勝利をたたえる戦勝画の連作で飾り、ベラスケスの《ブレダの開城》もその一点である。