《キリストの受難》
城壁に囲まれたエルサレムの町を高みから見渡す画面に、通りや建物ごとに受難の出来事が次々と描き込まれる。画面の下の両端では、注文主のトンマーゾ・ポルティナーリと妻マリアが祈りをささげる。
概要
《キリストの受難》は、ブルッヘで活躍した画家ハンス・メムリンクが1470年頃に描いた油彩の板絵で、トリノのサバウダ美術館が所蔵する。縦56.7センチ、横92.2センチの横長の画面に、キリストの受難の物語を一つの町の風景の中に描き込んでいる。館によれば、本作はフィレンツェの銀行家トンマーゾ・ポルティナーリのために描かれた見事な板絵で、画面の端にはポルティナーリが妻とともに描かれている。館は本作を、ボッティチェッリの《ヴィーナス》やヴェロネーゼの大作と並ぶ、館の推奨順路の見どころの一つに挙げている。
画面の読み解き
画面は城壁に囲まれたエルサレムの町を高い視点から見渡し、建物や門、通りのあちこちに、エルサレム入城から十字架の道行き、磔刑、復活に至る受難の出来事が、時の流れに沿って配置されている。画面の下の左右の端では、注文主のトンマーゾ・ポルティナーリと妻マリア・バロンチェッリがひざまずいて祈り、物語の外からその出来事を見守っている。『イタリア百科事典』は、主題を補う場面を背景に描いたり、場面を独立して展開したりするメムリンクの物語の力が、トリノの《受難》によく表れているとしている。
技法・様式
『イタリア百科事典』によれば、メムリンクの作品は、新しい美術の価値をうまく総合したもので、背景としての風景への感受性と、物語を語る力に特徴がある。その風景は肖像の背景にもなり、本作では物語の舞台となる町そのものが画面を満たしている。メムリンクは同じように、聖母とキリストの物語の多くの場面を一つの風景にまとめた《キリストの降臨と勝利》(1480年、アルテ・ピナコテーク)も描いている。百科事典はこれを《聖母の七つの喜び》と呼んで、本作と並べて挙げている。
来歴
『イタリア人名辞典』によれば、トンマーゾ・ポルティナーリは1428年にフィレンツェで生まれ、1440年頃からブルッヘのメディチ銀行の支店に勤め、1465年に支店長となった。1469年末から1470年初めにかけてフィレンツェに戻り、15歳のマリア・バンディーニ・バロンチェッリと結婚している。同辞典は、マリアがフランドル風に着飾って夫とともにメムリンクの絵に描かれたと記す。ポルティナーリは1501年にフィレンツェで没した。館によれば、本作はのちにピエモンテのボスコ・マレンゴにあるドメニコ会の修道院に伝わり、そこからトリノの館に入った。2021年には、ローマのバルベリーニ宮の展覧会に貸し出された。
意義
『イタリア人名辞典』によれば、メムリンクは1471年から1472年頃に二度ポルティナーリを描き、フーホ・ファン・デル・フースはポルティナーリ一家を《ポルティナーリ祭壇画》に描いた。メムリンクの《最後の審判》も、ポルティナーリが手配した船で運ばれる途中に海賊に奪われた。同辞典は、ファン・エイクからメムリンクに至るフランドルの画家たちの絵が、ポルティナーリが扱った金糸の織物やビロードの広まりを細部まで伝えているとも述べている。