《ペーザロ家の祭壇画》
- 作者
- ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
- 制作年
- 1519–1526年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 478 × 266.5 cm
- 時代
- ルネサンス
巨大な2本の円柱の前、右寄りの高い玉座に聖母子が座り、石段では聖ペテロが本から顔を上げる。左には赤い旗を掲げた甲冑の騎士とトルコ人の捕虜、手前の左右にはひざまずくペーザロ家の人々が並ぶ。
概要
《ペーザロ家の祭壇画》は、ヴェネツィアの画家ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1519年から1526年にかけて描いた祭壇画で、ヴェネツィアのサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂のペーザロ家の祭壇に掛けられている。2013年から2017年にかけて修復を行った団体セーヴ・ヴェニスによれば、カンヴァスに油彩で描かれ、縦478センチ、横266.5センチ。同じ聖堂の主祭壇には、ティツィアーノの《聖母被昇天》がある。
画面の読み解き
セーヴ・ヴェニスによれば、手前ではヤコポ・ペーザロとその一族がひざまずいて祈っている。寄進者の肖像の常として彼らは横顔で描かれるが、右側の少年だけはこちらを見ている。左には聖ペテロと、聖ゲオルギウスかもしれない戦士の聖人が立ち、右には聖フランチェスコとパドヴァの聖アントニウスがいて、一族を聖母子に引き合わせる。聖母はほかの人物より高い玉座に座り、幼子キリストは戯れるように聖母のベールを分け合っている。日本語版ウィキペディアによれば、聖ペテロは青い衣に黄色のマントをまとい、読書を中断して寄進者を聖母に紹介し、足もとの階段には天国の鍵が置かれている。左端の赤い旗には教皇とヤコポの紋章が描かれ、黒い甲冑の騎士は、ターバンを巻いたトルコ人ともう一人の捕虜を引いている。画面の上方には、十字架を抱えたプットー(幼児の天使)が雲に乗って現れる。
技法・様式
セーヴ・ヴェニスによれば、ティツィアーノは聖母子を中心から外して円柱の前に置き、聖堂の身廊から斜めに見上げる視線に合わせた。これは、中心を強調する従来の祭壇画からの離脱だった。日本語版ウィキペディアによれば、聖母は中心からずれながらも人物群がつくるピラミッドの頂点に置かれ、斜めの線と三角形の原理によって階層と動きが生み出されている。画面中央の2本の大きな円柱は上端が切れた形で描かれ、ルネサンス絵画に前例がなく、X線撮影では、柱の位置にはじめ別の建築の要素が描かれていたことがわかっている。
来歴
セーヴ・ヴェニスによれば、ヤコポ・ペーザロは1518年に一族の礼拝と埋葬のためにフラーリ聖堂の祭壇を買い、ティツィアーノに祭壇画を注文した。本作は一族の奉納画であるとともに、教皇艦隊の司令官として1502年にキリスト教国の連合軍を率いてトルコに勝ったヤコポの武勇をたたえている。日本語版ウィキペディアによれば、注文は1519年4月24日で、完成は1526年、同年12月8日に式典が行われた。2012年5月の地震で祭壇と上の窓や壁が損傷し、絵は取り外された。セーヴ・ヴェニスの資金で、修復家ジュリオ・ボーノとエリカ・ビアンキーニが剥がれかけた絵具層をチョウザメの膠の微量注入などで安定させ、2017年9月に祭壇に戻された。
意義
日本語版ウィキペディアによれば、その極めて独創的な構図は、のちのヴェネツィアの祭壇画に大きな影響を与え、モレット・ダ・ブレシア、パオロ・ヴェロネーゼ、ヤコポ・バッサーノの作品にも受け継がれた。同じ記事は、こうした手法がバロック期の複雑な構図を先取りしたと評価されていることも伝えている。