
フーゴ・エアフルトが撮影したワシリー・カンディンスキー、1923年
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1866–1944年
- 国籍
- ロシア
- 様式
- 表現主義
ワシリー・カンディンスキー
1866年にモスクワで生まれ、1944年にパリ近郊で没した画家。法律を学んだのち30歳でミュンヘンに移って画家となり、フランツ・マルクらと「青騎士」を結成して、抽象絵画を切り開いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
レンバッハハウス美術館によれば、1866年12月4日にモスクワの裕福な家庭に生まれ、両親の離婚後、1871年からオデッサで育った。モスクワの大学で法律と国民経済学を学び、将来を嘱望されたが、1896年、30歳で絵を学ぶためにミュンヘンへ移る。アントン・アジュベの画塾で4年学び、同郷のアレクセイ・ヤウレンスキーと知り合った。1900年から美術アカデミーでフランツ・フォン・シュトゥックに学び、1901年に芸術家団体「ファランクス」を結成して、その画塾でガブリエーレ・ミュンターを教えた。ミュンターと各地を旅したのち、1908年にミュンヘンに落ち着く。1911年初めにフランツ・マルクと出会い、同年12月に「青騎士」の第1回展を開いた。1914年末にモスクワへ戻り、1921年にヴァルター・グロピウスに招かれてバウハウスで教えた。1933年にバウハウスがナチス政権に閉鎖されるとパリへ移り、1944年12月13日、ヌイイ=シュル=セーヌで没した。
様式の変遷
同館によれば、1908年の夏、ミュンターやヤウレンスキー、マリアンネ・フォン・ヴェレフキンとバイエルンのムルナウで制作したことが、色の強い表現的な絵、カンディンスキーの場合は抽象へ向かう絵への突破口となった。1909年からは大きな作品で「内なる自然の印象」を描き、物の形を解き放って、絵に新しい次元を開いた。バウハウスではパウル・クレーらと並んで壁画の工房を率い、パリでの晩年には、生き物を思わせる形の作品を描いた。
代表作
《コンポジション VII》(1913年、トレチャコフ美術館)のほか、《万聖節 I》(1911年、レンバッハハウス美術館)、《白い楕円》(トレチャコフ美術館)などがある。
影響
物の形を描かない抽象絵画を切り開いた画家の一人で、ドイツの表現主義の集団「青騎士」の中心となった。ナチス政権は作品を排斥し、ドイツ連邦政治教育センターによれば、1937年のミュンヘンの退廃芸術展には水彩《下降》も並べられた。