
オラース・ヴェルネ《テオドール・ジェリコーの肖像》1822〜1823年頃、メトロポリタン美術館
Wikimedia Commons / メトロポリタン美術館 / CC0- 生没年
- 1791–1824年
- 国籍
- フランス
- 様式
- ロマン主義
テオドール・ジェリコー
1791年にルーアンに生まれ、1824年にパリで没した画家。ルーヴルで巨匠の作品を写して腕を磨き、実際の遭難事件に取材した《メデューズ号の筏》で、ロマン主義の絵画を切り開いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ティッセン=ボルネミッサ美術館によれば、1791年にルーアンの裕福な家に生まれ、数年後に一家でパリへ移った。カルル・ヴェルネとピエール=ナルシス・ゲランのアトリエで短く学んだのち、1811年からは自分で修業の道を選び、ルーヴル美術館で古い巨匠の作品を模写した。21歳の1812年にサロンへ《突撃する近衛猟騎兵士官》を、1814年に《負傷した胸甲騎兵》を出品する。ローマ賞を逃すと自費でイタリアへ渡り、ルネサンスの巨匠たちに学び、ローマの謝肉祭の裸馬の競走を描いた。1819年のサロンに《メデューズ号の筏》を出品する。晩年は長い病のため大画面に取り組めなくなり、1824年にパリで没した。
様式
メトロポリタン美術館によれば、1820年代初めのパリの批評家たちは、ジェリコーと、親友で好敵手でもあったオラース・ヴェルネのどちらがより有望かを決めかねていた。軍人や馬を好んで描き、実際に起きた出来事の取材では、生存者の記録を読み、模型を作り、遺体を研究するまで準備を重ねた。ティッセン=ボルネミッサ美術館によれば、最後の絵は、心を病む人々を描いた肖像の連作だった。
代表作
《突撃する近衛猟騎兵士官》(1812年)、《負傷した胸甲騎兵》(1814年)、《メデューズ号の筏》(1818〜1819年、ルーヴル美術館)、イギリス滞在中の《エプソムの競馬》(1821年、同館)、晩年の心を病む人々の肖像の連作が知られる。
影響
「パノラマ・ド・ラール」によれば、《メデューズ号の筏》は政府への批判と受け取られてサロンで物議をかもしたのち、イギリスで大きな成功を収めた。手前の人物のモデルを務めた若いウジェーヌ・ドラクロワは、のちにフランスのロマン主義の中心となる。