- 生没年
- 1410–1475年
- 国籍
- 南ネーデルラント
- 様式
- 初期フランドル派
ペトルス・クリストゥス
初期フランドル派の画家。1444年にブルッヘの市民権を得て生涯この町で活動し、ヤン・ファン・エイクの様式を受け継いで、肖像画や宗教画を描いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
オランダ美術史研究所(RKD)によれば、1410年から1415年ごろ、バールレに生まれた。1444年7月6日、画家として働くためにブルッヘの市民権を得て、生涯この町にとどまった。1458年から1463年のあいだに妻とともに「枯れ木の聖母」の信心会に入り、1463年にはブルゴーニュ公フィリップ善良公の入市式のために、画家ピーテル・ナハテハーレとともにエルサレムとエッサイの木の図を手がけた。1468年のシャルル突進公の入市式には加わっておらず、仕事のできない状態だったとみられる。妻ガウディシーネが1475年9月から1476年12月にかけて寡婦として記録に現れることから、1475年に没したと考えられている。息子バスティアーンも画家になった。
様式の変遷
ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、その作品がヤン・ファン・エイクに多くを負い、署名もファン・エイクにならったとみられるギリシア文字風の書体で記されているとする。RKD によれば、ファン・エイクの弟子とされることが多いが、クリストゥスがブルッヘに来たのはファン・エイクの没後で、師弟関係はおそらくない。それでも様式への影響ははっきりと見え、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの影響も指摘される。
代表作
《若い女の肖像》(1470年頃、ベルリン絵画館)、《エドワード・グリムストンの肖像》(1446年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー)、《工房の金細工師》(1449年、メトロポリタン美術館)が知られる。メトロポリタン美術館によれば、《工房の金細工師》の凸面鏡には店の外の人々が映り込み、見る者の不完全な世界と、画中の徳と均衡の世界とが対比されている。
影響
ジョルジョ・ヴァザーリは、アントネロ・ダ・メッシーナがクリストゥスに学んだと伝えるが、RKD はこれを裏づける記録はないとする。孫のペトルス・クリストゥス2世も画家となった。