- 生没年
- 1440–1482年
- 国籍
- フランドル
- 様式
- 初期フランドル派
フーゴー・ファン・デル・グース
1440年頃にヘントで生まれ、1482年にブリュッセル近郊の修道院で没したフランドルの画家。フィレンツェに送られた《ポルティナーリ祭壇画》は、現地の画家たちに強い印象を残した。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ウィーン美術史美術館の作者データによれば、1440年頃にヘントで生まれた。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、1467年から同地で活動した記録がある。ja.wp によれば、この年にヘントの聖ルカ組合に加わり、のち組合の長となって、ブルゴーニュ公シャルルとマーガレット・オブ・ヨークの婚礼を祝う町の装飾も手がけた。ナショナル・ギャラリーによれば、1475年頃かそれより後に、ブリュッセル近郊のローデ・クロースター(赤い修道院)に入り、ふさぎ込む発作や錯乱に苦しみながらも絵を描き続けた。1482年に同修道院で没した。同館は、ヤン・ファン・エイク以後のヘントで最も重要な画家とする。
様式の変遷
ウィーン美術史美術館は、《ウィーン二連祭壇画》の左の板に、木々や草の細かな写しと注意深く観察された人物によるヤン・ファン・エイクの芸術の響きを、右の板に、強い感情と激しい動きによるロヒール・ファン・デル・ウェイデンの表現の伝統を見ている。ウフィツィ美術館によれば、代表作の三連祭壇画では、羊飼いたちの皺の刻まれた顔や節くれだった手、粗末な衣服を、聖なる人物と同じ大きさで描き、細密な自然描写と油彩の輝くような効果で見る者を驚かせた。
代表作
《ポルティナーリ祭壇画》(1473〜1478年、ウフィツィ美術館)、《ウィーン二連祭壇画》(1479年以降、ウィーン美術史美術館)が知られる。
影響
ウフィツィ美術館によれば、メディチ銀行のブルッヘ代理人トンマーゾ・ポルティナーリの注文した三連祭壇画は、画家の没後の1483年にフィレンツェに届き、当時この町で最大のフランドル絵画として大きな関心を集めた。フィリッピーノ・リッピ、ドメニコ・ギルランダイオ、ルカ・シニョレッリ、レオナルド・ダ・ヴィンチらがその写実と油彩の効果に打たれ、自作に引用した。ja.wp は、初期フランドル派の第2世代の巨匠とする。