《雲海の上の旅人》
岩山の頂に、黒い外套の男が杖をついて立ち、こちらに背を向けて眼下の雲海を見下ろしている。霧の間から岩の峰が顔を出し、遠くには山々が淡くかすむ。男の赤みがかった髪が風に乱れる。
概要
《雲海の上の旅人》(独: Wanderer über dem Nebelmeer)は、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒが1817年頃に描いた油彩画である。縦94.8センチ、横74.8センチ。ハンブルク美術館が所蔵する。岩山の頂に立って雲海を見下ろす一人の男を、背後から描いた作品で、所蔵館は、以後の数十年でロマン主義美術の象徴となり、その図像は今もメディアの中で繰り返し使われていると解説する。ロマン主義の風景画を代表する一点である。
画面の読み解き
画面の中央、下から突き出た暗い岩の頂に、濃い緑の外套をまとった男が立つ。杖を岩について、こちらに背を向け、前方を見つめている。赤みがかった金髪は風に乱れる。眼下には白い霧が海のように広がり、そのあいだから、木の生えた岩の峰がいくつも島のように顔を出す。遠くには円錐形の山と塔のような岩山が淡く浮かび、その先で空と霧の境がかすむ。空には灰色の雲が幾重にもたなびく。
技法・様式
背を向けて景色を眺める人物、いわゆるリュッケンフィグーアを、画面の中心に大きく据えた構図である。ハンブルク美術館の作品を管理するハンブルク美術収集財団は、本作がフリードリヒには珍しい縦長の画面で、一人の人物を中央に置いた数少ない作品だと述べる。男の視線の先は見る者には隠されており、財団は、見る者が単に男に自分を重ねるのではなく、「見る」という行為そのものを考えさせることが主題だと解説する。遠くの山々は、画家がエルベ川上流の砂岩山地などで描きためた実景の素描を、画室で組み合わせたものとされる。
来歴
ハンブルク美術収集財団の記録によれば、1970年に同財団が購入し、ハンブルク美術館に収められた。所蔵館によれば、前年に館長に就いたヴェルナー・ホーフマンが、財団を説得して「フリードリヒの代表作」の購入を実現させた。所蔵番号はHK-5161(財団の番号はSHK 286)。
意義
所蔵館は、本作を「ロマン主義美術のイコン」と呼ぶ。広大な自然を前にした個人の孤独と内省を一つの姿に凝縮したこの図像は、ドイツ・ロマン主義の風景画の枠を越えて、今も書籍の表紙や広告など、さまざまなメディアで引用され続けている。ハンブルク美術館は、館長リヒトヴァルクの時代からフリードリヒの作品を集めており、《氷の海》とともに、同館のフリードリヒのコレクションの中心をなしている。