《氷の海》
割れた氷が階段のように積み上がり、その奥で一隻の船が押し潰されている。人の姿はどこにもない。フリードリヒが北極の海を想像で組み立てた風景画で、制作当時は酷評され、画家の死まで売れ残った。
概要
《氷の海》(独: Das Eismeer)は、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒが1823年から1824年にかけて描いた油彩画である。縦96.7センチ、横126.9センチ。ハンブルク美術館が所蔵する。北極の海で氷に閉ざされた船を主題とし、ロマン主義の風景画が求めた崇高をもっとも厳しい形で示した作品とされる。
来歴
フリードリヒは主題を限定しないよう題を付けないことが多く、本作も後世に名が定まった。1824年のプラハの展覧会には「北極海の理想的な光景、積み上がった氷塊の下の難破船」という長い名で、ドレスデンでは《氷の海》として出品されている。売れないまま1840年の画家の死まで手元に残り、1843年に弟子の画家ヨハン・クリスチャン・ダールの手に渡った。ダール家では「冬の風景と大きな氷山、または北極海での《希望号》の沈没」と記録されたため、1822年に描かれて失われた別の作品と長く混同されてきた。1905年、バート・テュルツで所在を確かめた館長アルフレート・リヒトヴァルクの仲立ちで遺族から3,000マルクで買い取られ、ハンブルク美術館の所蔵となった。
画面の読み解き
前景には割れた氷床が階段のように重なり、中景では鋭く尖った氷塊が斜めに突き上がる。その右下に、船尾だけを覗かせた難破船がある。後景の氷山は白く霞み、冷たい空が広がる。水平線の静けさと氷の鋭角が対比され、視線は中央の氷塊を軸に左回りに誘導される。フリードリヒの絵にしばしば現れる、背を向けて風景を眺める人物はここにいない。見る者を導く代役を置かず、自然の力だけを正面から示している。
技法・様式
北極海の流氷は雪解けの季節にエルベ川を遡ってドレスデン近くまで流れ込むことがあり、フリードリヒは1820年から1821年にかけてその実物を写生した。この習作3点はハンブルク美術館にあり、前景の氷片の重なりに構図が生かされている。実際に見た形を画室で組み直して架空の風景をつくる方法は、画家が生涯用いたものである。
意義
発表当時の評価は低く、1826年のベルリンの展覧会では、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世が氷の形を訝る言葉を残している。一方、1834年にドレスデンで本作を見た彫刻家ダヴィッド・ダンジェは、自然の力を画面に収める理解の深さを称えた。20世紀初頭に再発見されてからは画家の総決算とみなされ、ポール・ナッシュの《死の海》など後世の作品にも影響を残している。