《セネカの死》
円柱の立つ宮殿の広間で、上半身をあらわにした老哲学者セネカが椅子に身を沈め、医者が足首を切る。右では白い衣の妻パウリナが侍女たちに抱えられてのけぞり、背後では兵士が見張っている。
概要
《セネカの死》は、フランスの画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが1773年に描いた油彩の歴史画で、パリ市立プティ・パレ美術館が所蔵する。館の記録では、キャンバスに油彩で、縦43センチ、横53センチ。所蔵番号はPDUT1166で、1969年に館の収蔵品となり、庭園階の12室に展示されている。館によれば、本作はダヴィッドが3度目に挑んだ1773年のローマ賞の競技のために描かれた準備の下絵で、競技に提出された。主題は、王立絵画彫刻アカデミーが課した、ローマの歴史家タキトゥスの『年代記』の一節である。
画面の読み解き
館の解説によれば、皇帝ネロから自死を命じられたストア派の哲学者セネカは、自ら血管を開き、妻パウリナもともに死ぬことを選んだ。画面の左、宮殿の広間で肘掛け椅子に座るセネカは、互いの苦しみを見て心が揺らがぬよう、妻を遠ざけるよう侍女たちに求める。足もとでは医者が血の流れを速めるために足首を切り、血は足もとの盥に注ぐ。奴隷が盆にのせた毒の小瓶を差し出し、奥ではネロが差し向けた百人隊長が刑の執行を見届ける。右手では、白い衣の胸をはだけたパウリナが侍女たちに抱えられて天を仰ぐ。館によれば、右端には哲学者の最期の言葉を書き留める弟子がいる。
技法・様式
館の解説によれば、ひだを寄せて垂れ下がる幕、芝居がかった身振り、優雅な衣装、柔らかな桃色と青の色づかいをもつ本作は、ストア派の哲学者の住まいというより舞台装置のように見える。館は、劇の一場面のようなこのロココ趣味の装飾的な構成が、アカデミーの課した厳粛な主題とかみ合わなかったとする。また本作は、全体の骨組みを素早く決め、そのあと一つひとつの要素を自ら納得のいくところまで描き直していくダヴィッドの制作の、最初の例でもあるという。
来歴
館によれば、審査員はダヴィッドの絵に納得せず、1773年のローマ賞は画家ジャン=フランソワ・ピエール・ペイロンに与えられた。ダヴィッドが受賞してローマへの道を開くのは、その翌年のことである。本作は1969年にプティ・パレ美術館の収蔵品となった。
意義
館の解説によれば、ローマに渡ったダヴィッドはロココ趣味から離れ、新古典主義を代表する画家となっていく。館は本作の主題が、古代から高い道徳の手本となる人間の振る舞いをくみ取り、同時代の人々の模範にしようとする意志を示すとしている。ダヴィッドはのちに、同じく死を前にした古代の哲学者を、抑えた色と明確な輪郭で《ソクラテスの死》(1787年)に描いている。