《ヴィーナスと三美神に武器を取り上げられるマルス》
雲の上の白い神殿の前で、寝台に腰かけた軍神マルスに、裸のヴィーナスが花の冠を載せようとする。背後では三美神が兜や杯、盾を運び、足もとではクピドがマルスのサンダルの紐を解いている。
概要
《ヴィーナスと三美神に武器を取り上げられるマルス》は、フランスの画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが1824年に描いた油彩画で、ブリュッセルのベルギー王立美術館が所蔵する。縦308センチ、横265センチの大作で、左下の踏み台に「L. DAVID BRUX 1824」と署名と地名、年記がある。ナポレオン失脚後にブリュッセルへ亡命していた画家の最後の歴史画で、ルーヴル美術館はこれをダヴィッドの「芸術上の遺言」と呼んでいる。
画面の読み解き
ブラジルの美術史誌『ARS』に載ったマシャードの論文(2018年)によれば、青緑の空の下、金の柱頭をもつコリント式の白い神殿の前に雲が漂い、帝政様式の寝台が置かれた情景は、オリュンポスでの神格化を思わせる。寝台に腰かけたマルスは剣を差し出し、身を寄せたヴィーナスが花の冠をその頭に載せようとする。背後の三美神は、マルスの兜、杯と水差し、盾と矢筒と弓をそれぞれ運ぶ。手前ではクピドがマルスのサンダルを解きながら、こちらに目を向けている。人物たちは互いに視線を交わさず、それぞれが独立して振る舞う。
技法・様式
同じ論文によれば、画面に強い明暗の対比は無く、柱の縦線と梁や寝台の横線が画面を区切り、マルスの槍と剣の斜めの線がそれをつなぐ。マルスの体は写実的に描かれ、ダヴィッド自身の《テルモピュライのレオニダス》のレオニダスによく似ている。ルーヴル美術館の資料は、構図がアングルの《ユピテルとテティス》を思わせ、ヴィーナスは弟子アングルの《グランド・オダリスク》を、マルスはレオニダスを思わせると述べる。
来歴
所蔵館によれば、本作はジュール・ダヴィッド=シャサニョルが1886年に遺贈し、1893年に館に入った。マシャードによれば、ダヴィッドは1822年から1824年にかけて注文を受けずに本作を描き、絵画への別れと考えていた。1824年3月にブリュッセルで、続いて5月にパリで公開され、どちらも多くの観客を集めた。2025年10月から2026年1月のルーヴル美術館の展覧会「ジャック=ルイ・ダヴィッド」の教育資料でも、作品ごとの解説で取り上げられている。
意義
ルーヴル美術館の資料は、古風な主題を選んだ本作を、生涯歴史画に英雄性を求めたダヴィッドが、それがエロティシズムと「美のための美」に席を譲りつつあることを示した寓意と読む見方を挙げ、「魅惑的だが危険」と評した弟子アングルへの当てこすりだろうとする。マシャードによれば、同時代の批評家アドルフ・ティエールはマルスの体を称賛しながら、三美神の笑みは不快だと述べた。新古典主義の批評家の多くは、誇張された輪郭や官能的な主題を画家の衰えとみた。