《テルモピュライのレオニダス》
岩山の隘路の中央で、裸のスパルタ王レオニダスが剣と盾を手に岩に腰かけ、物思いに沈む。周りでは戦士たちが武器を取り、抱き合って別れを告げ、左上では一人が剣の柄頭で岩に碑文を刻んでいる。
概要
《テルモピュライのレオニダス》(仏: Léonidas aux Thermopyles)は、フランスの画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが1814年に完成させた油彩画である。縦395センチ、横531センチの大画面で、パリのルーヴル美術館が所蔵する。ペルシア王クセルクセスの大軍をテルモピュライの隘路で迎え撃ち、300人のスパルタ兵とともに戦死したスパルタ王レオニダスを描いた歴史画である。所蔵館の来歴によれば、本作は《サビニの女たち》の対作品として1798年から構想された。1802年から1804年にかけてパリで描かれたのち中断し、1813年6月に再び取りかかって、1814年10月に完成した。
画面の読み解き
所蔵館が引く1820年のリュクサンブール美術館の目録の解説によれば、選ばれたのは、高みに立つラッパ手がクセルクセスの軍の最初の動きを知らせる瞬間である。皆が武器に駆け寄り、最後の抱擁を交わして戦いに備える。中央の岩に座るレオニダスは、300人の勇士に囲まれ、友の避けられない死を思っている。その下の陰では、妻の兄弟アギスが、生贄の儀式でかぶった花の冠を置いて兜をかぶろうとし、王の命令を待つ。ヘラクレスを信奉する一人の将は、その武具と装いを身につけて兵を並ばせ、大祭司は天を指してヘラクレスに勝利を祈る。後方では軍勢が列をなして進み、遠くには隘路をふさぐ城壁の上にペルシアの軍が見える。王が口実をつけて戦いから遠ざけようとした17、18歳の若者二人は、「われらは命令を運ぶためではなく、戦うためにここにいる」と答え、一人は履物の紐を結び直し、もう一人は年老いた父に別れの抱擁をしに走る。左上では一人の戦士が、剣の柄頭で苔むした岩に「旅人よ、行きてラケダイモンの人々に告げよ、われら命に従いてここに眠ると」の文句を刻む。この碑文は、ヘロドトスの『歴史』第7巻が、戦死者をたたえて建てられたと伝えるものである。
技法・様式
戦士たちの多くは、古代の彫像にならって英雄を理想化する英雄的裸体で描かれる。所蔵館によれば、画面には古代ギリシア語の文字も書き込まれている。左奥の石の祭壇には「ヘラクレスの」、足もとに置かれた手紙には「アナクサンドリダスの子、王レオニダスより長老会へ」、左の三脚台の台座には「アフロディテの」とある。画面の中央下の岩には「L. DAVID / 1814」の署名と年記がある。
来歴
所蔵館によれば、完成した本作は1814年10月から12月にかけて、パリの旧クリュニー学院の礼拝堂にあった画家のアトリエで公開され、1819年までそこにあった。1819年11月27日、画家は代理人のジャン=ルイ・ドラエーに形式上売り渡し、12月11日、国王ルイ18世の決定で、宮内省が《サビニの女たち》とあわせて10万フラン(1点5万フラン)で買い上げた。リュクサンブール美術館を経て1826年にルーヴル美術館に移り、第二次世界大戦中はサルト県のスルシュ城に避難した。所蔵番号はINV 3690で、1994年からドゥノン翼のダリュの間(第702室)に展示されている。
意義
本作と《サビニの女たち》は、構想から買い上げまで対の作品として扱われてきた。ダヴィッドは王政復古で追放され、1816年からブリュッセルに住んだが、ルイ18世の政府は1819年、画家の手元に残っていたこの二つの大作を国のものとした。所蔵館によれば、本作はルーヴル美術館で1939年まで「七つの暖炉の間」に掛けられ、戦後はダリュの間、モリアンの間を経て、いまは新古典主義の絵画を集めたダリュの間に戻っている。