《ドレフュスの聖母》
- 作者
- ロレンツォ・ディ・クレディ
- 制作年
- 1475–1480年
- 素材
- 板(ポプラ材) / 油絵具
- 寸法
- 16.5 × 13.4 cm
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- イタリア・ルネサンス
左右に窓の開いた暗い部屋で、赤い衣に青いマントの聖母が、クッションの上に立つ裸の幼子を支える。幼子は母の胸元に手を伸ばし、もう一方の手で母が指先に持つ柘榴に触れる。窓の外には丘と木々が広がる。
概要
《ドレフュスの聖母》は、フィレンツェの画家ロレンツォ・ディ・クレディの作とされる、1475年から1480年頃の油彩の板絵で、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する。館の題は「柘榴を持つ聖母子」。館の記録では、ポプラ材の板に描かれた画面は縦16.5センチ、横13.4センチと手のひらほどの大きさで、所蔵番号は1952.5.65。サミュエル・H・クレス財団の寄贈で1952年に館に入った。通称は、かつての所有者であるパリの収集家ギュスターヴ・ドレフュスにちなむ。
画面の読み解き
暗い室内の奥の壁には左右に二つの窓が開き、その向こうに丘や木々、谷の広がる明るい風景がのぞく。聖母は赤い衣の上に、緑の裏地のついた青いマントをまとい、うつむいて幼子を見下ろしている。頭の後ろには金の光輪がかすかに描かれ、襟元には暗い色の石をはめたブローチが留められている。裸の幼子は手前の青いクッションの上に立ち、聖母の右手に支えられて、右手を母の胸元へ伸ばしながら顔を見上げ、左手で母が指先に持つ柘榴に触れている。館の文献一覧には、この聖母のブローチを、師ヴェロッキオの名をほのめかすものとして論じた1999年の論文も挙げられている。
技法・様式
館の文献と展示歴によれば、この小さな板絵の作者は長く論じられてきた。20世紀の初めにはヴェロッキオの工房の作、あるいはロレンツォ・ディ・クレディの作とされたが、1929年に美術史家W.スイダがレオナルド・ダ・ヴィンチの作と唱えてから、レオナルド説が有力な一つとなった。1949年にロサンゼルスで開かれたレオナルド展には、レオナルドの《柘榴の聖母》として出品されている。1950年にはW.R.ヴァレンティナーが、レオナルドが描き始めてロレンツォが仕上げたと考えた。館は1956年の目録以来、長く「ヴェロッキオの周辺(レオナルドの可能性あり)」として扱った。1969年にF.ゼーリは、その名に踏み切る最後のためらいさえなければレオナルド本人の作とするほど近いと書き、2006年にはE.フェイヒーが、おそらく現存するレオナルドの最も早い絵だとした。一方、2004年のP.ナットールは「ヴェロッキオの工房(ロレンツォ・ディ・クレディか)」とした。2019年から2020年にフィレンツェとワシントンで開かれたヴェロッキオ展には「ロレンツォ・ディ・クレディ(?)」として出品され、館は現在ロレンツォ・ディ・クレディの作としている。
来歴
館の記録によれば、本作はドレフュスがイギリスで購入したもので、1908年の雑誌記事は、彼が最近イギリスで入手したと明記している。館の以前の目録は、1864年にロンドンで売り立てられたJ.W.ブレットのコレクションにあったレオナルド作の聖母子や、1872年にドレフュスに売られたパリのシャルル・タンバルのコレクションに当たるとしたが、館は現在、どちらも根拠が乏しいとしている。ドレフュスの没後は相続人が所有し、1930年に画商デュヴィーンがドレフュスのコレクションをまとめて買い取った。デュヴィーンの記録では、本作はレオナルドの作とも、ヴェロッキオの作ともされている。1951年9月にサミュエル・H・クレス財団に売られ、翌1952年に館に寄贈された。
意義
2019年のヴェロッキオ展の報道資料によれば、ヴェロッキオは絵画を共同で制作するのが常で、若い画家たちに自らの構想に沿って描かせ、最後に仕上げの手を入れた。工房にいたことが知られる、あるいはそう考えられる画家には、レオナルドやロレンツォ・ディ・クレディが含まれる。本作の作者をめぐる長い議論は、こうした工房の中で個々の手を見分けることの難しさを物語っている。同じ工房から生まれた作品には、ウフィツィ美術館の《キリストの洗礼》がある。同じ館には、レオナルドの《ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像》も所蔵されている。