
ペルジーノが描いたロレンツォ・ディ・クレディの肖像
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1459–1537年
- 国籍
- フィレンツェ共和国
- 様式
- イタリア・ルネサンス(フィレンツェ派)
ロレンツォ・ディ・クレディ
フィレンツェの画家。金細工師の子に生まれ、ヴェロッキオの工房でレオナルドの影響を受けた。1488年に師の遺言で工房を継ぎ、入念に仕上げた祭壇画や小さな聖母子を描いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
イタリア人名事典(2006年、M.ディ・モンテ執筆)によれば、金細工師アンドレア・ドデリーゴの子としてフィレンツェに生まれた。生年は、残る二つの税の申告で食い違い、1456年から1460年の間とされる。アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房で修業し、1480年には年12フィオリーノの給金で働いていた記録がある。ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、修業はおそらく1470年代の初めに始まり、師の没する1488年まで工房にとどまった。事典によれば、ヴェロッキオは1488年3月の遺言でロレンツォを相続人とし、ヴェネツィアのコッレオーニ騎馬像の完成も託したが、ロレンツォはこれを別の彫刻家に譲った。その後は工房を率いて多くの弟子を抱え、1504年にはミケランジェロの《ダヴィデ》の設置場所を検討する委員の一人に選ばれ、フラ・アンジェリコらの古い作品の修復も手がけた。1531年、70歳を超えてサンタ・マリア・ヌオーヴァ病院に身を寄せた。事典は病院の帳簿の記載から没日を1536年1月12日とし、ロンドン・ナショナル・ギャラリーは没年を1537年とする。
様式
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、同じ工房で学んだ若いレオナルド・ダ・ヴィンチから強い影響を受け、その様式はあまり変化しなかった。事典によれば、16世紀の伝記作者ヴァザーリは、その「よく仕上げられて清らかな」描き方をたたえた。1500年以降は大きな祭壇画やフレスコ画を避け、個人のための中小の絵に力を注ぎ、アンドレア・デル・サルトら次の世代が新しい様式を進めるなかでも、15世紀末のヴェロッキオの型を守り続けた。
代表作
ヴェロッキオが司教の遺言執行人から注文を受け、1485年に完成したピストイア大聖堂の祭壇画《聖母子と洗礼者聖ヨハネ、聖ドナトゥス》は、主にロレンツォの手になるとされる。ほかにルーヴル美術館の《聖ユリアヌスと聖ニコラウスのいる聖母子》、ウフィツィ美術館の《羊飼いの礼拝》がある。ワシントン・ナショナル・ギャラリーは、かつてレオナルドの作とも論じられた小さな板絵《ドレフュスの聖母》をロレンツォの作としている。
影響
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、ヴェロッキオの《聖母子と二人の天使》では、技術的な調査から幼子キリストや右の天使をロレンツォが描いたことが分かっており、師が弟子に重要な部分を任せた工房の共同制作の例となっている。