《ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像》
ネズの木の茂みを背に、白い肌の若い女性が顔をこちらに向ける。光を受けた巻き毛が顔を縁どり、右には川の流れる丘と町が、淡い青の遠景となってかすんでいる。
概要
《ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像》(英: Ginevra de' Benci)は、レオナルド・ダ・ヴィンチが1474年から1478年頃に描いた油彩画である。元の板の部分は縦38.1センチ、横37センチで、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する。フィレンツェの裕福な銀行家の家に生まれた16歳のジネーヴラ・デ・ベンチの肖像で、所蔵館は、20代前半のレオナルドが油絵具で描いた最初期の作品の一つとする。裏面にも絵のある両面の板絵で、南北アメリカにある唯一のレオナルドの絵画である。初期ルネサンスのフィレンツェで、肖像画を大きく変えた一点として知られる。
画面の読み解き
若い女性が胸から上を見せ、体をやや右に向けながら、顔をこちらに向ける。白くなめらかな肌に、まぶたの重い薄茶色の目。中央で分けた茶色の髪は後ろでまとめられ、光を受けて金色に輝く巻き毛が顔を縁どる。茶色の衣の襟ぐりは金で縁どられ、胸元は青いリボンで結ばれ、薄い白のヴェールが小さな金の玉で留められている。頭の後ろには、とがった葉を茂らせたネズの木が迫る。右には、木々と丘のあいだを川が曲がりくねり、地平線の町が淡い青にかすむ遠景が開ける。所蔵館によれば、ネズの木(イタリア語でジネープロ)は、モデルの名ジネーヴラにかけたものである。
技法・様式
所蔵館によれば、レオナルドは顔の輪郭を線で囲むのではなく、肌に反射する光そのものを描いた。肩と胴を横に向けて顔をこちらに向ける姿勢は、今日「四分の三正面」と呼ばれるもので、当時のイタリアの肖像画では新しい試みだった。人物を室内ではなく屋外に置いたことも画期的だったという。空とネズの茂みが接するあたりには、手で絵具をなじませた画家の指紋が残っている。板は下の部分が切り詰められていて、今の姿は元の肖像の一部にすぎない。所蔵館は、残されたレオナルドの素描から、もとは腰のあたりで両手を重ねる姿が描かれていたと考えている。
来歴
所蔵館によれば、本作はおそらくリヒテンシュタイン侯ヨハン・アダム・アンドレアス1世(1657〜1712年)がフィレンツェで買い入れたもので、遅くとも1733年には同家の収集に入っていた。裏面には、その年に押された同家の紋章入りの赤い封蝋が残る。1780年の同家の目録ではルーカス・クラナッハの作とされ、レオナルドの名は忘れられていた。第二次世界大戦中にウィーンからファドゥーツの城へ移され、1967年2月10日にフランツ・ヨーゼフ2世から所蔵館が購入した。報道された価格は500万ドルで、当時、美術品に支払われた最高額だった。修復家マリオ・モデスティーニが特製のスーツケースに収め、旅客機の座席に載せてアメリカへ運んだ。所蔵番号1967.6.1.a、アイルサ・メロン・ブルース基金による購入。
意義
所蔵館によれば、本作は1474年のルイジ・ニッコリーニとの婚約を機に描かれた可能性があるが、裏面は別の事情をうかがわせる。裏面にはネズの小枝を月桂樹と棕櫚の枝の輪が囲み、巻物に「美は徳を飾る」(VIRTVTEM FORMA DECORAT)と記されている。月桂樹と棕櫚は知と徳の象徴であり、ジネーヴラを慕ったヴェネツィアの大使ベルナルド・ベンボの紋章でもあった。所蔵館は、ベンボがこの肖像を注文した可能性を挙げる。ジネーヴラ自身も詩を書き、「許しを乞う、わたしは山の虎」という一行が伝わる。所蔵館は、ここで試みた工夫が、およそ30年後の《モナ・リザ》に直接つながったとみている。