《ドーソンヴィル伯爵夫人の肖像》
- 作者
- ドミニク・アングル
- 制作年
- 1845年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 131.8 × 92.1 cm
- 所蔵
- フリック・コレクション
- 時代
- 新古典・ロマン
- 流派
- 新古典主義
大きな鏡の前で、青灰色のサテンのドレスの若い女性が台にもたれ、左手を頬に添えてこちらを見る。台の上にはオペラグラスや花の鉢が置かれ、鏡には彼女の後ろ姿と赤いリボンが映る。
概要
《ドーソンヴィル伯爵夫人の肖像》は、フランスの画家ドミニク・アングルが1845年に描いた油彩の肖像画で、ニューヨークのフリック・コレクションが所蔵する。館の題は《ルイーズ、ブロイ公女、のちのドーソンヴィル伯爵夫人》。館の記録では、キャンバスに油彩で、縦131.8センチ、横92.1センチ。所蔵番号は1927.1.81で、1927年に館が購入し、2階の34室(ウォルナット・ルーム)に展示されている。館によれば、椅子の側面に1845年の署名と年記がある。
画面の読み解き
館の解説によれば、アングルは、ルイーズがオペラから帰ってきたばかりのような、くつろいだ親密な場面を描いた。黄色のショールは右の椅子に投げかけられ、黒いオペラグラスは暖炉の上に置かれ、鮮やかな青の夜会用のバッグは、彼女の後ろの金具付きの磁器の壺に掛けられている。名刺の角が折られているのは、彼女の外出中に訪問客があったしるしだという。音声ガイドで主任学芸員エイミー・ングは、金の腕輪と指輪には流行のトルコ石がはめ込まれ、蛇の形の指輪は「クレオパトラ風」と呼ばれる様式だと述べる。日本語版ウィキペディアによれば、彼女の後ろの大きな鏡に人物の後ろ姿を映す工夫は、アングルが1814年の《ド・スノンヌ夫人の肖像》で初めて使ったものである。
技法・様式
館によれば、注文を受けたとき、アングルは60代で、フランスの新古典主義の指導者として、社交界の肖像を描くことにはほとんど関心がなかった。それでも引き受け、ルイーズの妊娠による中断をはさみながら、3年をかけて取り組んだ。ングは、アングルがおよそ80点の準備素描を描いたとし、ルイーズの右腕は解剖学的に正しい位置より少し低いが、より心地よい構図にするための意図的な処理だと述べる。日本語版ウィキペディアによれば、美術史家のあいだでは、頬に手を添えるポーズは、思索や慎みを表す古代の女神像に由来するとの説がある。
来歴
館の来歴によれば、本作はドーソンヴィル夫人のもとから、1882年に息子のドーソンヴィル伯爵ガブリエル・ポール・オトナン・ド・クレロンに受け継がれ、1924年まで一族のもとにあった。その後、画商ヴィルデンシュタインを経て、1927年にフリック・コレクションが購入した。ングによれば、ルイーズはこの肖像を大切にし、遺言状では、スイスのコペにある一族の城館に次ぐものとして挙げている。日本語版ウィキペディアによれば、本作は1846年にパリで、《グランド・オダリスク》とともに初めて公開された。
意義
館によれば、ルイーズ・ド・ブロイ(1818〜1882年)は名高い作家スタール夫人の孫娘で、自身も優れた書き手だったが、夫の求めで匿名で出版した。ングは、バイロン卿やアイルランドの革命家ロバート・エメットの伝記も匿名で出され、肖像には彼女の文筆の仕事をうかがわせるものは何もないと指摘する。完成した肖像は、画家自身の言葉で「嵐のような称賛を巻き起こし」、ある人物はルイーズに「アングル氏はあなたに恋をしていたにちがいない」と冷やかしたという。日本語版ウィキペディアによれば、本作は、《ド・ブロイ公爵夫人の肖像》や《イネス・モワテシエ夫人の肖像》とともに、アングル後期の最もすぐれた女性の肖像画の一つとされる。