《十字架上のキリスト》
- 作者
- ディエゴ・ベラスケス
- 制作年
- 1632年
- 素材
- キャンバス / 油絵具
- 寸法
- 248 × 169 cm
- 所蔵
- プラド美術館
- 時代
- バロック・ロココ
- 流派
- スペイン・バロック絵画
暗い背景の前に、木目の見える十字架に架けられたキリストが一人描かれる。茨の冠をかぶった頭はうなだれ、長い髪が顔の半分を覆う。両手と、足台にのせた両足は四本の釘で打たれ、腰には白い布を巻く。
概要
《十字架上のキリスト》は、スペインの画家ディエゴ・ベラスケスが1632年頃に描いた油彩の宗教画で、マドリードのプラド美術館が所蔵する。館の記録では、キャンバスに油彩で、縦248センチ、横169センチ。所蔵番号はP001167で、第14室に展示されている。館によれば、様式から、イタリアから戻ってまもない1630年代の初めの作とみられ、多くの研究者が1632年頃とする。マドリードのサン・プラシド修道院のために描かれたと考えられている。
画面の読み解き
画面には、何もない暗い背景の前に、木の十字架に架けられたキリストだけが描かれ、闇から青白い体が浮かび上がる(キアロスクーロ)。茨の冠をかぶった頭は右に傾いてうなだれ、長い髪が顔の半分を覆う。頭のまわりにはかすかな光輪が浮かぶ。館によれば、キリストは四本の釘で十字架に打ち付けられており、これはベラスケスの師で義父の画家フランシスコ・パチェーコが1611年に採り、1649年の著書『絵画芸術』で擁護したやり方に従っている。美術史家フリアン・ガジェゴは、十字架が腕のよい大工の仕事のようによくできていると指摘した。頭上の罪状書きは、ヘブライ語・ギリシャ語・ラテン語で記され、ラテン語はウルガタ訳ヨハネ福音書に従うが、「NAZARAENVS」とわずかに綴りを誤っている。これはパチェーコの1614年の《キリストの磔刑》(グラナダ、ロドリゲス=アコスタ財団)と同じで、ベラスケスはヘブライ語とギリシャ語の書き写しでも誤りをおかしている。
技法・様式
館によれば、理想化されて整いきった解剖学と青白い肌は、グイド・レーニの新アッティカ風の様式を思わせる。ベラスケスは、キリストを「人の子らにまさって美しい」とうたう詩編の言葉どおり、言葉に尽くせない神の美しさを与えようとしたのだろう。パチェーコは、地上の父を持たないキリストは、神が造ったキリストに次いで最も美しい被造物である母に似ていたとして、その肉体の美しさを強調していた。脇腹の傷は死後に受けたもので、キリストがすでに息絶えていることを示すが、体は十字架の上で静かに保たれ、批評家ベルナルディーノ・デ・パントルバの言うように、苦しみのうちに死んだというより、安らかに夢を見ているかのようである。
来歴
館によれば、本作は、1623年にマドリードのサン・プラシド修道院を創設したヘロニモ・デ・ビリャヌエバの注文だった可能性がある。ビリャヌエバはアラゴン王国の首席公証官で、オリバーレス伯公爵の腹心だった。1634年と1645年には国王の命でベラスケスに支払いをしており、画家とは直接のつながりがあった。注文は、修道院の司祭と修道女の不正な行いをめぐる異端審問所の調べが終わった1632年のことかもしれない。館の来歴によれば、本作はその後、1805年頃に宰相マヌエル・ゴドイ、チンチョン伯のコレクションを経て、1828年にサン・フェルナンド・デ・キロガ公の手に渡り、王室コレクションに入った。
意義
館によれば、1630年にマドリードでポルトガル系のユダヤ教徒が彫刻の十字架像を冒涜した事件が宮廷を騒がせ、1632年に罪人が処刑されると、王宮と王立の修道院で十字架上のキリストへの公の祈りが行われた。ポルトガル系の銀行家をひいきにしたとして敵の多かったビリャヌエバにとって、大きな磔刑図は、信心と正統の信仰を公に示す意味を持ちえた。同じ主題を描いたスペインの作品には、フランシスコ・デ・スルバランの《十字架上のキリスト》もある。