《アンティオコスとストラトニケ》
円柱の並ぶ古代風の部屋で、天蓋つきの寝台に病の王子アンティオコスが横たわり、灰色の衣の医師がかたわらに座る。左には、うつむいた王妃ストラトニケがひとり離れて立っている。
概要
《アンティオコスとストラトニケ》は、フランスの画家ドミニク・アングルが1840年にローマで仕上げた油彩の歴史画で、シャンティイのコンデ美術館が所蔵する。館の記録では、カンヴァスに描かれ、縦59センチ、横100センチ、額を含めると縦102センチ、横140センチ。所蔵番号はPE 432。画面には「J. INGRES FIT ROME 1840」の署名がある。館の題は「アンティオコスの病、またはアンティオコスとストラトニケ」。
画面の読み解き
館の解説によれば、主題はプルタルコスの『英雄伝』から採られている。ストラトニケはシリア王セレウコス1世に嫁ぐが、王の先妻の子アンティオコスが彼女に恋をして、死にそうなほど病み衰える。画面は、医師エラシストラトスが病の原因を悟る瞬間を描く。ストラトニケの姿を見て、王子の胸の鼓動が速まったのである。医師は老王に、王子は自分の妻に恋していると思わせる。王は医師に妻を手放すよう頼み、やがて真実を知ると、息子を救うために自らそうせざるをえなくなる。画面では、円柱の並ぶ部屋の中央に天蓋つきの寝台があり、灰色の衣の医師が寝台に腰かけて王子の体に手を置き、左にはうつむいたストラトニケがひとり立つ。
技法・様式
館によれば、アングルは7年をかけて本作を仕上げ、多くの素描を描き、ストラトニケの姿には古代の彫像を参考にした。ギリシアの室内を再現しようと、自らも集めていたギリシアの壺に学んだが、ギリシア風というよりポンペイ風の室内装飾は、のちにパリの中央市場を設計する建築家ヴィクトール・バルタールが描いた。建築の一部はポールとレモンのバルズ兄弟が描き、アングル夫人が医師の、弟子のイポリット・フランドランが王子の腕の、アングル自身が王のモデルをつとめた。
来歴
館によれば、本作は1834年、国王ルイ=フィリップの息子オルレアン公が、ロマン派のポール・ドラローシュの《ギーズ公の暗殺》と対にするために注文した。同じ年にローマのフランス・アカデミーの院長としてメディチ荘へ戻ったアングルは、本作をローマで描いた。パリに送られた絵は、持ち主にも批評家にも大いに好まれた。館の記録によれば、1853年1月18日のオルレアン公旧蔵品の競売を経てデミドフ公の手に渡り、1863年のその売り立てで、オルレアン公の弟オーマール公が買い戻した。オーマール公は1886年、コンデ美術館となる収集をフランス学士院に寄贈した。
意義
館によれば、この主題は新古典主義で重んじられ、アングルの師ジャック=ルイ・ダヴィッドもローマ賞のために1774年に描いている。音楽家でもあったアングルは、1792年にパリで初演されたメユールのオペラ『ストラトニース』を知っていた。このオペラはトゥールーズでも、アングルが1794年から1797年までヴァイオリンを弾いたキャピトルの楽団によって上演されている。4人の人物を舞台のように正面向きに並べる構成や、ストラトニケの登場の場面の選び方、竪琴の存在は、このオペラを思わせる。弟子のレモン・バルズは、この物語を前にした師の感動は激しく、涙を流したと書いている。アングルはこの主題を65年のあいだに7回描いた。