《受胎告知》
- 作者
- ハンス・メムリンク
- 制作年
- 1480–1489年
- 素材
- 板からキャンバスに移し替え / 油絵具
- 寸法
- 76.5 × 54.6 cm
- 所蔵
- メトロポリタン美術館
- 時代
- ルネサンス
- 流派
- 初期フランドル派
赤い天蓋の寝台のある寝室で、錦の祭服をまとった大天使ガブリエルが手を上げて告げる。白い衣に紺の外套の聖母は書見台から身を返し、二人の小さな天使に支えられる。頭上に鳩が降り、手前に百合の花瓶がある。
概要
《受胎告知》は、ブルッヘで活動した画家ハンス・メムリンクが1480年から1489年に描いた油彩画で、ニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵する。館の記録では縦76.5センチ、横54.6センチで、もとは板に描かれ、のちにキャンバスに移し替えられた。所蔵番号は1975.1.113で、館のロバート・レーマン・コレクションの第953室に展示されている。館の目録は、本作をメムリンクの最もすぐれた作品の一つとしている。
画面の読み解き
館の解説によれば、受胎告知は居心地よく調えられた寝室で起こっている。光が汚されずに通り抜ける水差しと、百合の花瓶は聖母の純潔の象徴で、空の燭台は、聖母がまもなく「世の光」キリストを宿す役目を負うことを示す。大天使ガブリエルの祭服はミサの儀式、ひいてはキリストの受肉をほのめかしている。館の目録によれば、寝台の鮮やかな赤い掛け布が狭い部屋を占め、額にかかって途切れる天使の長い衣が、その到着の動きを伝える。祈祷書から身を返した聖母は、半ば立ち上がり半ば気を失いかけて告知を受け入れ、二人の天使が聖母を支えながら見る者に示している。この工夫は、現存する初期ネーデルラントの板絵に先例のないものである。
技法・様式
館によれば、メムリンクはこの受胎告知を、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンの《コルンバの三連祭壇画》の左翼に倣って描いた。柔らかく輝く光が聖母に注ぎ、部屋を満たしている。館の目録によれば、狭い部屋、左の開いた窓、聖母の頭を縁取る寝台の赤い掛け布などが、ファン・デル・ウェイデンの作と共通する。赤外線の調査では人物に念入りな下描きが見つかり、聖母の袖の形、挙げた手の大きさ、天使の杖の向きなどが描きながら改められた。床の格子が中央の少し右に集まる遠近法から、より大きな祭壇画の左翼だった可能性もあるが、独立した礼拝用の絵だった可能性も否定できない。
来歴
館の目録によれば、もとの額には年記があり、ふつう1482年と読まれてきたが、1832年にこの絵を見たズルピッツ・ボワスレーは1480年と記録している。額は19世紀の初めに捨てられた。ポーランドのラジヴィウ家の公子ミハウ(1831年没)のもとにあり、その子アントニ・ラジヴィウが1832年までにベルリンへ移し、子孫に受け継がれた。1920年10月、ゲオルク・ラジヴィウ公の未亡人マリー・ブラニツカから、画商デュヴィーン兄弟を通じてフィリップ・レーマンが買い取った。1902年にはブルッヘの展覧会に出品され、1975年にロバート・レーマン・コレクションとともに館に入った。
意義
館の目録によれば、1847年にワーゲンが初めて紹介して以来、本作はメムリンクの最もすぐれた、最も独創的な作品の一つとみなされてきた。聖母を支える二人の天使という工夫に、メムリンクが模倣ばかりの画家だと考えた研究者ウィール一人が作者を疑ったが、ほとんどの研究者はフリートレンダーの言う「メムリンクの最も美しい発明」に同意している。同じ主題の受胎告知を描いた先行作には、ワシントン・ナショナル・ギャラリーのヤン・ファン・エイクの《受胎告知》もある。