
ヨハネス・ウィーリクスに帰される肖像版画(1572年)
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1465–1530年
- 国籍
- ブラバント公国
- 様式
- 北方ルネサンス
クエンティン・マサイス
1465年か1466年にルーヴェンで生まれ、1530年にアントウェルペンで没したフランドルの画家。16世紀初めのアントウェルペンを代表する画家で、宗教画や肖像画のほか、世俗の風刺画を切り開いた。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、ルーヴェンに生まれ、16世紀初めのアントウェルペンで第一の画家となった。アントウェルペンでの最初の記録は、町がネーデルラントの主要な港として重みを増しはじめた1491年、画家の同業組合に加わったときのものである。1509年以降の年記のある作品や年代のわかる作品が残り、その年にブリュッセルの美術館にある《聖アンナ祭壇画》を完成させた。アントウェルペンでは風景画家ヨアヒム・パティニールと親しく、彼の風景に人物を描き添えたとみられる。1530年に没した。
様式の変遷
同ギャラリーによれば、初期の作品にはブルッヘで活動したハンス・メムリンクの影響がみられ、後期の作品にはイタリア、とくにレオナルド・ダ・ヴィンチの影響が表れる。肖像画家としても宗教画家としても名高かった。同館の《醜女の肖像》の解説は、マサイスがレオナルドと同じく人の顔の表現力に関心を寄せ、レオナルドの小さな素描を、対をなす等身大の風刺の絵に作りかえたとする。濡れた絵具を羽毛のようにのばして調子を和らげる技法は、マサイスに特有のものとされる。
代表作
ロンドン・ナショナル・ギャラリーの《醜女の肖像》(1513年頃)、ブリュッセルの《聖アンナ祭壇画》(1509年完成)、ルーヴル美術館の《両替商とその妻》が知られる。
影響
同ギャラリーによれば、マサイスは、世俗的で風刺的な図像の先駆者だった。若作りの老人を笑う《醜女の肖像》は、のちにジョン・テニエルが描いた『不思議の国のアリス』の公爵夫人の挿絵のもとになった。北方ルネサンスのネーデルラントで、イタリアの新しい表現を取り入れた画家の一人である。