
ヴァザーリ『芸術家列伝』(1568年版)の肖像版画。銘は「PIERO DI COSIMO PITTOR FIORENTINO」
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1461–1522年
- 国籍
- フィレンツェ共和国
- 様式
- 初期ルネサンス
ピエロ・ディ・コジモ
1462年にフィレンツェで生まれ、1522年に没した画家。師コジモ・ロッセッリから名を受け継ぎ、名家の部屋を飾る横長の板絵や祭壇画、肖像画を描いた。奇想に富む神話画で知られる。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ウフィツィ美術館によればフィレンツェの生まれ。ティッセン=ボルネミッサ美術館によれば、父ロレンツォは木彫職人で、ピエロはコジモ・ロッセッリの工房で修業し、師の名をとって「ピエロ・ディ・コジモ(コジモのピエロ)」と呼ばれた。工房ではフラ・バルトロメオやマリオット・アルベルティネッリと同門だった。1481年から1482年、教皇シクストゥス4世に招かれた師に従ってローマへ行き、システィーナ礼拝堂の《山上の垂訓》の背景の風景を担当したとみられる。記録に残る最初の作品は1489年の《聖母のエリザベト訪問》(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)で、1504年にフィレンツェの画家組合に加わった。1522年に没した。
様式
ワシントン・ナショナル・ギャラリーによれば、聖なる主題から世俗の主題まで幅広く手がけ、カッポーニ家からストロッツィ家まで、フィレンツェの名家のために神話や寓話の絵を描いた。ティッセン=ボルネミッサ美術館によれば、とくに名家の私室を飾る横長の板絵「スパッリエーラ」で名声を得た。顔の描き方はフィリッピーノ・リッピに、光と大気の扱いはレオナルド・ダ・ヴィンチのスフマートに学び、1490年代末からはシニョレッリやフーゴー・ファン・デル・グースの影響も見せる。ウフィツィ美術館は、風変わりで想像力に富む画家と評している。
代表作
《プロクリスの死》(1495年頃)と《ラピタイ族とケンタウロス族の戦い》(ともにロンドン・ナショナル・ギャラリー)、シモネッタ・ヴェスプッチの肖像とされる女性像(シャンティイ、コンデ美術館)、建築家ジュリアーノ・ダ・サンガッロとその父の肖像(アムステルダム国立美術館)、晩年の《アンドロメダを救うペルセウス》(ウフィツィ美術館)が知られる。
影響
ウフィツィ美術館によれば、《アンドロメダを救うペルセウス》はストロッツィ家の婚礼の間の調度として描かれ、1598年にはすでにウフィツィのトリブーナにあった。2015年には、ワシントン・ナショナル・ギャラリーとウフィツィ美術館で回顧展が開かれた。