
フィレンツェ、ブランカッチ礼拝堂のフレスコ《聖ペテロの殉教》(1481〜1482年頃)に描き込まれた自画像とされる部分
Wikimedia Commons / Public domain- 生没年
- 1457–1504年
- 国籍
- フィレンツェ共和国
- 様式
- 初期ルネサンス
フィリッピーノ・リッピ
15世紀後半のフィレンツェの画家。フラ・フィリッポ・リッピの息子で、ボッティチェッリの工房で学んだ。フィレンツェとローマで大きなフレスコの連作を描き、祭壇画でも名高く、当時は師をしのぐ名声を得た。
略歴BIOGRAPHY
生涯
ロンドン・ナショナル・ギャラリーによれば、フィリッピーノ(「小さなフィリッポ」の意)は、画家フラ・フィリッポ・リッピとルクレツィア・ブーティの駆け落ちののち、おそらく1457年にプラートで生まれた。1469年に父を亡くすと、まもなくサンドロ・ボッティチェッリの工房に入った。1490年頃、フィレンツェにいたミラノの代理人は「ボッティチェッリの弟子で、当代随一の名手の息子」と報告している。日本語版ウィキペディアによれば、1480年代前半には、マザッチョらが未完のまま残したブランカッチ礼拝堂の壁画を引き継いで完成させた。1504年4月に没した。
様式の変遷
同ギャラリーは、フィリッピーノを、フィレンツェの大規模なフレスコ連作の伝統を担う第一人者であり、板絵にもすぐれた画家とする。その名声はイタリア中に広まり、フィレンツェとローマで大きなフレスコの連作を描いたほか、ミラノ、ボローニャ、ジェノヴァからも祭壇画の注文を受けた。
代表作
フィレンツェのバディア聖堂の《聖ベルナルドゥスの幻視》(1486年)、サント・スピリト聖堂の《聖母子と聖人たち》、ウフィツィ美術館の《東方三博士の礼拝》(1496年)などがある。
影響
同ギャラリーによれば、ラファエロやミケランジェロら次の世代の陰に隠れたため、師ボッティチェッリをもしのいだ当時の成功は、いまでは忘れられている。その聖会話の祭壇画は盛期ルネサンスの画家たちに影響を与え、15世紀と16世紀の成果をつなぐ存在とみることができるという。