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ポール・ボードリーの肖像

肖像写真(フォトグリプティー、カルナヴァレ博物館)

Wikimedia Commons / カルナヴァレ博物館 / CC0
生没年
1828–1886年
国籍
フランス
様式
アカデミック美術
本DB収録 1 点

ポール・ボードリー

Paul-Jacques-Aimé Baudry

1828年にフランス西部のラ・ロッシュ=シュル=ヨンで生まれ、1886年にパリで没した画家。第二帝政期のアカデミック美術を代表し、パリのオペラ座の大広間の天井画を手がけた。

略歴BIOGRAPHY

生涯

オルセー美術館の人名録によれば、1828年にヴァンデ県のラ・ロッシュ=シュル=ヨンに生まれ、1844年から画家ドロランに学んだ。1850年にローマ賞を得てイタリアに滞在し、1852年にサロンに初めて出品した。日本語版ウィキペディアによれば、ローマ賞はウィリアム・アドルフ・ブグローと分け合ったもので、イタリアではコレッジョの絵に強く惹かれた。1870年に芸術アカデミーの会員となり、1886年1月17日にパリで没した。

様式

プラド美術館によれば、その裸婦にはコレッジョの反響が見られる。ボードリーは女性を描く「画家詩人」とみなされるようになり、現代の研究は、女性像における写実と理想のせめぎ合いをその作品に読み取っている。日本語版ウィキペディアによれば、主に壁画を描き、肖像画や歴史画も手がけた。

代表作

プラド美術館の《真珠と波》(1862年)は、1863年のサロンで評判を呼んだ裸婦である。オルセー美術館は《運命の女神と幼子》(1857年頃)や、建築家シャルル・ガルニエの肖像(1868年)などを所蔵する。パリ国立オペラによれば、ガルニエの友人だったボードリーは、オペラ座(ガルニエ宮)の大広間の天井に神話の場面を描いた。中央の大きな区画は音楽に捧げられ、まわりを九人のムーサのうち八人が囲む。

影響

日本語版ウィキペディアによれば、オペラ座の装飾に10年をかけたのち、パンテオンの装飾計画に加わる予定だったが、果たさずに没した。墓はペール・ラシェーズ墓地にある。

代表作MAJOR WORKS

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