
ナダール撮影の肖像写真(1856〜58年、メトロポリタン美術館)
Wikimedia Commons / メトロポリタン美術館 / Public domain- 生没年
- 1814–1875年
- 国籍
- フランス
- 様式
- バルビゾン派・写実主義
ジャン=フランソワ・ミレー
1814年にノルマンディーのグリュシー村で生まれ、1875年にバルビゾンで没したフランスの画家。パリ近郊のバルビゾン村に住み、畑で働く農民の姿を描き続け、バルビゾン派の中心となった。
略歴BIOGRAPHY
生涯
オルセー美術館の人物資料によれば、1814年、フランス北西部マンシュ県グレヴィル=アーグのグリュシー村に生まれた。百科事典『ラルース』の絵画事典によれば、1833年から1837年までシェルブールで画家ムシェルとラングロワに学び、のちパリでポール・ドラローシュのアトリエに通った。1840年には肖像画家として暮らしを立て、同年サロンに初めて入選する。1848年のサロンに出した《箕をふるう人》は、農民を記念碑のように大きく描いた最初の作品である。1849年の末にパリ近郊のバルビゾン村に落ち着き、そこで生涯を送った。1868年にレジオン・ドヌール勲章を受けて公の評価を得たが、1875年、バルビゾンで没した。
様式の変遷
同事典によれば、初期の絵では色を魚のうろこのように重ねた小さな筆触で置き、油彩や素描の裸婦にもすぐれた作品を残した。やがて農民が、それまでにない大きな位置を占めるようになる。1850年から翌年のサロンに出した《種をまく人》では農民を英雄のように描き、テオドール・ルソーとともにバルビゾン派の中心とみなされた。当時の批評では、農民は1848年の革命と貧困の象徴と受け取られもした。素描やパステルは絵画と同じほど重要で、晩年には激しい叙情をたたえた風景画や「四季」の連作を描いている。
代表作
《落穂拾い》(1857年、オルセー美術館)、《晩鐘》(1857〜1859年、同)がある。国立西洋美術館には「四季」の1点《春(ダフニスとクロエ)》(1865年)、山梨県立美術館には《種をまく人》(1850年)など13点が収められている。
影響
同事典によれば、没後まもなく19世紀で最も名高い画家の一人となり、ミレーの切り開いた創造の流れは、ピサロ、ゴッホ、スーラ、レジェへと受け渡された。